keith中村

こどもが映画をつくるときのkeith中村のレビュー・感想・評価

こどもが映画をつくるとき(2021年製作の映画)
5.0
 「なんか映画を作るのって楽しい」
 一人の女の子が呟くこの言葉が本作の本質をずばりと言ってのけている。ここは泣いた。
 そうなんだよね。「なんか楽しい」なのさ。作るのも観るのもだけどさ。
 明確に「楽しい」じゃない。「なんか楽しい」の。これが重要。
 
 「映画を作る映画」は傑作揃いのジャンルなんだけど、ドキュメンタリーでもこんな凄いものが観られるとは!
 このワークショップは素晴らしいですね。
 大人の介入はミニマム。取材交渉も子供たち。店の人が出てきたら、スタッフの人が「大人がいると知られないように」隠れまでしてたもんね。
 で、ミニマムなんだけど、子供たちに伝える内容はいちいちとんでもなく的確。
 
 ドキュメンタリーではあるんだけれど、これってジャンル的には「ケイパーもの」なんですよね。チームで仕事を成し遂げようとするが、様々な障壁が現れ、時には仲間割れもある。しかし、最終的にその仕事を成功させる。
 そのケイパーものを観てる時のドキドキハラハラ感とまったく同じ気持ちになる。
 ケイパーものには失敗に終わるパターンも多いけど、本作は「M:I」と同じく、チームでちゃんとミッションを成功させてました。2チームとも。
 
 観てると、「ポール・ヴァーホーヴェン トリック」と同じく、製作過程を描き、最後に本篇を見せる趣向かな、と思ってたんだけど、本篇はなかったのですね。そこが残念だった。
 ダメもとでYouTube検索したら、2作品ともありました。よかった!
 
 本作の中にも撮影風景やフッテージが映され(というか、それがほぼすべて)、2本ともそもそもが短篇なのでかなりの部分はこの映画の中に登場している。
 でも、ちゃんと完成作としての2本が見られて、ほんとによかった。
 
 本作を観てる間は思ってたのですよ。
 「赤チーム(商店街のほう)は、『人間』に着目して、人間を描いてる。対する青チーム(宮崎神宮のほう)は、人に興味がないんだな」
 いやいやいや! 完成作品をちゃんと見てよかった。この感想が覆りました。
 
 赤チームの「商店街のふしぎな道」は、「人に寄り添い人を描く」という、映画の「物語性・共感性・記録性」にフォーカスしていた。これは映画のファクターのものすごく大きなもの。
 そして、青チームの「宮崎神宮の自然と音」は、映画の「芸術性・実験性・表現性」にフォーカスしていた。小説でも絵画でもない、他ならぬ「映画」しか持ちえない独自性を浮かび上がらせていたのですね。これも滅茶苦茶重要なファクター。
 つまり、期せずして両チームは、映画に不可欠な両面をきっちり分担して表出させちゃってるのです。
 しかも、あなた。みんな小学生ですよ! しかも2チームで打合せなんてしてない。っていうか、仮に打合せができていたとしても、そんな切り口での棲み分けなんかできたはずがない。たまたま、そういうものが出来上がっちゃったんです。
 そりゃ、思いますよ。「映画の神様って絶対いる! この子たちに奇蹟を起こしたんだ!」
 
 では、2作品を見ていきましょう。
 
 「商店街のふしぎな道」は、シャッター通り商店街、しかも本通りから脇に入った路地裏の商店街に取材している。
 シャッター通り商店街を舞台とすることで、きっちり「現代」が描かれるんだけど、凄いのはそれに留まらない。
 コロナ禍と高齢により、あさってには店を畳む亭主もいれば、つい数日前に開店した居酒屋のマスターもいる。この両者に取材できたところも「映画の奇蹟」。
 「失われていくもの」と「失われないよう踏ん張るもの」を「無限の可能性がある子供たち」が撮影してるという。もうこうやって言葉にしてても堪らない感覚になってしまう。俺たちの子供の頃は、「無限の可能性」は子供にだけじゃなく、社会全体にあったものなんだよ。今の子供たちは「無限の可能性」こそあれ、将来的(といってもたかだかそれは10年程度後のことだ)には「可能性がどんどん閉じてゆく社会」と対峙しなきゃならないんだよ。
 名状しがたい気持ちになります。
 
 「宮崎神宮の自然と音」は、「音と映像」で世界を切り取った作品。
 その二つの説得力がものすごいんですよ。池に投げ入れられる石の音と波紋。そしてそのリズム。
 撮影はこうたろう君だっけ? どう考えても100人が100人、石を投げてるチームメイトを撮るよね? 天才か?!
 とはいえ、彼はその映像のように人に興味がないわけじゃ決してない。何とかしてりのちゃんを巻き込もうとしてるし、チーム全体をまとめようともする。
 ストップモーション・アニメにしようとアイデアを出す子もいるし、録音の男の子は自分の足音を拾わないよう下駄を脱いで裸足になる。この両者に共通するのは、「ドキュメンタリー性の排除」もしくは「虚構性の強調」なわけですよ。
 「街でカメラを回して作品を作りましょう」ってワークショップで、そこに行く? このチーム凄いわ。
 
 いやはや、両者甲乙つけがたい作品でした。
 この子たちの宝物だね。もちろん見させてもらった俺の宝物にもなったけど。
 あ、上映会で顔を覆ってる女の子いましたね。あれも気持ち分かるわ~。表現するってそういうことだよね。
 
 そういえばもうひとつ奇蹟が起こってましたよね。
 どっちの映画も最後は「カッコー」のリフレインで終わるところ。
 青チームは、なぜか「ヤッホー」からモジュレートしちゃった叫び声。
 赤チームは、画面奥に映る歩行者用青信号の電子音。
 なんだよ、この作品。
 
 もしや、実はこれ、井口奈己が仕掛けたフェイク・ドキュメンタリーなのか?!
 もう、そう思っちゃうくらい、とんでもないものを見てしまいました。