【公開初日レビューにつき未見の方の閲覧禁止】
ストーリーだけ見れば、40年近く観続けられた作品なんだから、遠慮なくネタバレしておりますので、要注意。
まず言いたいのは、本作単体のみで評価すれば文句なしの満点ということ。ミュージカル映画フェチの身としても、予想していたよりもはるかに素晴らしかったですよ。
さて、本作はアリス・ウォーカー原作のブロードウェイ・ミュージカルの映画化。
その意味では、「スピルバーグ作品のリメイク」ではなく、単に同じ原作を(舞台化を経て)再び映画化したもの。
面白いのが、逆にスピルバーグが2回目に映画化した、「West Side Story」の関係とそっくりであること。
とはいえ、同じストーリーで新旧2本の映像化作品があれば、どうやっても「オリジナル」「リメイク」として見ちゃいますよね。私はウォーカーの原作も読んでないし、舞台も観てないので、当然のようにスピ師匠のリメイクという観点で観てしまいました。
そうすると、どうやっても思ってしまうのは、「圧倒的に尺が短いよな~」ということ。
本作は控えめに言ってもあと1時間。「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」並みの尺が必要な映画だったんじゃないか、と思いました。
積み重ねるエピソードと、それに付き合う体感時間がどうしてももっと必要な映画。
だって、ストレートプレイだったオリジナルが153分だったのに、こっちは10分以上短い141分。オリジナルの当時からエンドロールが長い時代にはなってたけど、今はそれどころじゃなく長い。なので、正味のストーリーは少なめに見ても15分以上短くなってるのですね。
しかも、こちらはミュージカル。歌い踊ってる間はストーリーは進行しない。
さっき劇場で1回観ただけなんで、ミュージカル・シーンのトータルの長さはわかりませんが、体感的には60分くらいはあったんじゃないかな。調べたらサントラ盤は52分14秒らしい。もちろん、サントラ盤ってのは、その言葉通りに映画のサウンドトラック部を取り出したものじゃなく、独自のアレンジを加えているものだから、イコールじゃないんだけれど、それでもだいたい50~60分くらいミュージカル・パートがあったのは間違いないでしょう。
ってことは、本作で物語が語られるのは正味1時間あまりだったわけですよ。
そりゃ、エピソードが積み重ならないし、どうしても急ぎ足のダイジェスト版の印象は拭えないのです。
テレ東の午後ローは、放送枠が90分で、CMを抜いた本篇時間が72分なんですよね。
だから、午後ローの映画はみんな急ぎ足。
これ、何かのレビューに書いたことあるけれど、私はキューブリックの「ロリータ」初見はこの枠でした。あれって153分の映画なんです。でも初見時は72分版として観た。半分以下なんですよね。だから、後に全長版観た時に、当たり前だけど「知らないエピソードがいっぱいある!」ってなりました。
本作はその逆。
「えっ? あれもないの? 嘘っ、あそこは見たかった!」ってなる。
もちろん、午後ローの、というかテレビ映画の凄いところはその編集のスキル。どんなに長い映画だって「午後ロー枠なら72分。夜9時枠なら92分」に収めて、視聴者に届けるという能力。
本作にもそれは感じました。
「この省略は上手いな」とか、「この挿話をこっちに持っていったか」とかね。
とはいえ、やっぱり気になったのは本当なので、ここからはそれを書いていきます。
導入は良かったね。
ミスターとおぼしき人が馬に乗ってバンジョーを弾いてる。そこからワンカットでカメラがぐーっと動いて姉妹の歌になる。
もともと手遊び唄だったのがミュージカル映画への導入になってるのも好感が持てました。
ただ、この時点で「パープル」が出てないのにタイトル「THE COLOR PURPLE」になっちゃうのは勿体なかったかな。
序盤はあまり省略を感じませんでした。
それは当たり前で、第一部はセッティングだから、叮嚀に描かないといけない。
ウーピー出てきたよね! アダムを取り上げる産婆さんで。あれ、オリジナル(くどいけど、原作小説じゃなくスピ版ね)だとオリビアだったよね。逆になってる。
まず、ここで涙ぐんじゃった。
新旧の「奇跡の人」で、パティ・デュークがヘレン・ケラー→サリヴァン先生にロールチェンジしてるのも思い出した。
オリジナルでは相続するまで描かれなかった父の店がいきなり出てきて、セリーがオリビアと邂逅するところをこちらに持ってきてるのは省略技法として上手いと思いました。
(もう一回断っときますが、原作がそうだったのか、舞台版がそうだったのかは知らないので、あくまでスピ師匠版との対比として書いてます。これ以降もそうです)
セリーがミスターに掠奪されて(「結婚して」なんて絶対言いたくない!)、家に連れてこられての掃除シーン。
今回は、「汚い部分をいくつか掃除」を見せるので、キッチン&ダイニングの乱雑さを「ラスボス」にするのかと思ったけど、ここもあっさりしてた。こっちはスピ師匠のほうが短尺でユーモラスに撮ってたな。
ネティが転がり込んできて、放逐されるまでもあっさり。
「学校に通うネティにストーキングするミスター」がかなりの序盤での「ネティをつけ回すミスター」に変更されてて、映像記号的には等価なんだけど、意味はだいぶ違ってる。
今回はミスターのキャラが描かれないうちにネティと邂逅してるから、「本当に可愛いと思った」「ちょっとちょっかい掛けてみた」とも解釈できるけど、オリジナルは「執着したけど掠奪できなかった方の姉妹が幸運にも我が家に転がり込んできたんで、粉を掛けてみる」というさらに気持ち悪いシーンになってた。
そうなんですよね。
本作は観てる映像はそこそこ似てるけど、意味が全然違うのが多かった。
それがプラスにもマイナスにもなってました。
絶対に今回も観たかったのは、セリーがネティに読み書きを教わる一連のシークエンス。
"apple"から始まるあの名場面ね。
あれがないと、セリーは元から最低限の教育があった女の子としか見えないんです。
"sky"もないんだよ!!
"Hell No!"は逆に良かったところ。
ソフィアが先に歌ってるのが恰好よくって楽しくって。これが伏線になるので、後の市長夫人へのこのセリフがより活きてた。
あ、そうそう。
今日は封切でしたが、豊洲の最終回に行ってきました。(だから「公開初日レビュー」と言いながらもう日付は変わってます)
豊洲はいい意味で穴場で、初日でもそこまで人が入らない。
今日は多分20人はいなかった。
でもね。女性のお客さんで、面白いところにはめっちゃ声出して笑う人と、辛いところでめっちゃ洟すすってる人が2人くらいいたんです。
だから、劇場の雰囲気がとてもよかった。
やっぱ映画館で感情を出せる人って、いいですね。ほかの客の気持ちを牽引してくれる。
ただ、たぶんそのお二人はオリジナルを観てなかったんでしょうね。
ソフィアが"Hell No!"って市長を殴るシーンまで爆笑してました。こっちは慄然としてるんだけど、初見なら痛快だもんね。
何も私は批判してるわけじゃありません。黒人差別なんか知らない子供の頃だったら私だって爆笑してたろうから。
だから、逆にさっき笑ったお二人のお客さんが気の毒で。
笑ったことを後悔したんだろうな。次のシーンでそのお二人からステレオ放送ですすり泣きが聴こえてきました。
もう何が何だか、映画じゃなくそのお二人の心中を想像して、私まで泣けてきたよ。
シュグとの関係もこっちは最初っから良好なんですね。
シュグさん、今回はセリーに"Ugly"なんて言ってなかったもの。
だったらさあ! オリジナルと同じく「セリーのブルース」はハーポの店で歌ってほしかったよね。
オドオドしてるウーピーがだんだん嬉しそうになってく、あの表情をこそさ、今回のファンテイジアさんの顔で見たかったよね。今回はまあまあ安定を手に入れた後のセリーに、ライブじゃなくレコードで渡すんだよ。
そんなの「シュグによるセリーへのエンパワーメント度合い」が違い過ぎるよ!
シュグがセリーを連れ出すところで、今回はサイレント映画を観るシーンがありましたね。
あの映画って本当にあるんだろうか。ちょっと調べたけどわかんなかった。あってほしいね。
(MGM以前、最初にトーキーとミュージカルを始めたワーナーだけあって、このシーンのミュージカル・シーケンスもWB初期のミュージカル・オマージュで素晴らしかったよ!)
(ここまで時系列に書いてたつもりだったけど、セリーが「ミスターパパ」の水に唾入れるシーンの時系列を見失った。この付近のどっかだったよね。あれもオリジナルでは「嫌がらせをするつもりだったけど、ミスターパパの発言にまあまあ溜飲がさがったので、唾入りウォーターを飲んでほしくないセリー」と「飲みそうで飲まないミスターパパ」のクロスカッティングがスピ師匠の演出で冴え渡ってたけど、こっちではセリーの心の揺れはまったく伝わってきませんでした)
今回、いいところも悪いところも公平に書きたいんだけど、なんか悪いところを多めに書いてるな。
でもさ、ソフィアの「廃人期間」もあまりに短すぎません?!
オプラさん版の白髪・片目腫れソフィアに我々が受けるショックってトラウマ級じゃないですか。
本作では、ちょっと無口になったソフィア→会食シーンで「ギャッハッハッハ! セリーよ! ここは私に任せて先へ行け!」」が短いんで、ソフィアさんそこそこ大丈夫だったじゃん?! って思えてしまいます。
(もうちょっと後でも、「ミスターの零落っぷり」は本作でもめっちゃ少なかった。オリジナルでは、あれがあるためにミスターの最後の最後での善行が際立ってたんだけど)
「類似描写で意味が異なる」の「第一位」は「カミソリ殺害シーン」。
オリジナルではシュグはちょっと前に帰ってきてる。で、何かを察知したシュグは自らの足で疾走することでセリーの惨劇を阻止する。けど、こっちは何か「たまたま自動車で帰ってきたシュグ」に偶然助けられただけになってた。
あそこは号泣シーンだったのにな……。
オリジナルはストレートプレイなんだけど、歌手が登場する映画だから、ミュージカルっぽいところも少なくないんだよ。
すでに書いた「セリーのブルース」とか最高によかったし、シュグとパパの和解シーンもオリジナルは大好きなんです。
古典のミュージカルって、主人公格が行進してるうちにどんどんフォロアーが増えて、大行進になるって作品が相当多いんです。スピ師匠版でもシュグは村人全員引き連れて教会に向かう。
ここ、スピ師版はかなり「ウエスト・サイド」の「アメリカ」っぽい「ディベート歌合戦」になってて、「クワイア VS ブルース」なんですよね。その対立構造からの和解が号泣ポイント。
今回はシュグさんがこっそり教会に行って、こっそり和解してやがんの。
「そこはスピ師匠以上に豪華にマーチングしろよ!」って思いました。
なんか、ディス多いですか、今日?
じゃあ、最後に本作最大の美点を書きます。
スピ師版は、ウーピーのナレーションが結構多いんですよね。NHKの連続テレビ小説や大河レベルで。
これって、映画としてはあんまり上品なことじゃない。
今回は見事でしたよ。ナレーション皆無!
これは評価ポイントがガン上がりです。
あと、ハッピーなラストシーンのことを日本語では「大団円」って言うじゃん。
本作はもしかしたら私が初めて「リアルに見た大団円」かも。
「ファミリー・ツリー」を中心に何十人もの人が手を繋いで大きな大きな円を作って終わる。
なんだ、この幸せな「大団円」は(涙!)。最高でした!
以上、おススメです!
これで本レビューを終わっても全然良かったんだけど、後悔も込めてもうちょっと。
スピ師版って、当時世界中でバッシング受けてましたよね。
曰く、上から目線(なんて言葉は当時なかったけど)の黒人描写。スピのオスカー狙いの駄作。
10部門11候補でノミネートされるも受賞ゼロ。
本国だけでなく、世界中でバッシング。もちろん日本でも。
日本では翌1986年の秋口に公開だったんだけれど、その年末に淀川さんがラジオで封切映画を総括してるときに言ってた言葉は今でも覚えてます。
「はい。『カラーパープル』ありましたね。これ、スピルバーグ監督ですね。スピルバーグ、腐っても鯛。はい、よかったよかった(次!)」
これ聴いて、私は「ひゃあ、淀川さんでも映画をディスる(←そんな言葉は当時なかったけれど)ことあるんだ!」って衝撃を受けた。
「もうね。ウーピー・ゴールドバーグにぬぅっと近づいていくカメラがね、E.T.に近づいていくカメラワークと全く一緒なんよ。つまり、黒人と宇宙人を同列に描いてるんよ」
そんな感想を言う人もありました。
もちろん、私もオリジナルはリアルタイムには観られなくて、数年後に観たんだけれど、観る前に「スピルバーグ(←今みたいに「スピ師」つって仰向けになってゴロニャンするほどは好きじゃなかった)もやっぱオスカーほしいよね」なんて冷笑してました。
師匠、本当にごめんなさい!!!🙇🙇🙇🙇🙇
スピ師匠がアーヴィング・タルバーグ賞貰ったのが翌年だっけ? 本作オリジナルが日本公開の年だったね。
あれも厭な感じだった。
「スピくん、君ね。SFとかホラーは上手いよね。でも、君ってさ、人間を描けないじゃん。だからこの功労賞は寄贈しますけど、作品賞とか監督賞を獲れると思うなよ!」みたいに、当時高校生だった私ですらそう感じた。
スピルバーグを「ジャンル映画の名手」というフレームに閉じ込めようとした当時のアカデミー会員の悪意を感じた。
今振り返ればそれが単なる悪意じゃなく「脅威」でもあったんだろうね。
スピ師がちゃんとオスカー獲るのはそこから8年後だもんね。
(それが果たして短かったのか、長かったのかはわからないけど)
今作の予告で「あの不朽の名作がミュージカルとして蘇る」なんつってたけど、これは見るたびに失笑しちゃって、あんだけディスったどの口が「不朽の名作」って言ってるんだ? ってなった。
どの口? この口か?! この口か?! ごのぐちかぁぁぁ!
って、今スピ師匠は思ってると思います!
スピ師! 今、勝手に代弁しましたけど、どうでしょう?!