あなぐらむ

野獣を消せのあなぐらむのレビュー・感想・評価

野獣を消せ(1969年製作の映画)
3.9
べーさんもまだルーキーで、「ニューアクション」もどれが進むべき方向なのか、手探りの中の作品だと思う。
脚本は「狙撃」直後の永原秀一と中西隆三の共作、69年という時代背景から見ても、基地の町福生が舞台である事からも、明らかに本作は「反安保映画」である。そう考えると物凄く図式的な脚本なのが分かる。
野獣とは何者か。それは戦後日本そのものなのだ。だから狩りの対象になる。消さなくてはいけないのだ。まともな会話さえ交わさない連中の中で、川地民夫と藤竜也だけは「あの日」をぎりぎり覚えているのだろうか。

野獣に犯される政治家の娘(藤本三重子)もまた、日本を象徴している。父権(代議士、清水将夫は巧い)に反抗しようとするが犯され、汚される。
外の国から帰って来たハンター・渡哲也は、外を知るが故に野獣を狩る。
この役、何故渡哲也なのかと思って見ていたのだが、やはり彼が人斬り五郎さんのような義侠に満ちた、旧日本人顔であるからなのかもしれない。

それにしても、映画のルックが歪なのは杉山俊夫や川地民夫の様な、明朗日活路線のキャストがいる違和感からだろう。川地はこの後東映に転出するのだが、居心地悪そうに小悪党を演じている。
一方で藤竜也は後のバロンのプロトタイプとも言えるキャラを楽しそうに演じ、彼こそがニューアクションの牽引者であるのが分かる。
悪の花をこちらも後にずべ公番長で活躍する集三枝子がキュートに演じ、華を添える。正ヒロインの藤本三重子も東映組。

べーさんの清順イズムは本作では冒頭の夕陽に始まり、ヒロインを白と赤の衣装で大胆に差別化する辺りに見られるが、徐々に自身のモダン・アクションを構築している感じ。大胆な銃撃戦の描写は作品を締めている。この人の映画は物凄い男性曲線で「中押し」が無い。クライマックスまでひたすら溜めるのだ。

ラスト、全て終えた渡哲也は米軍MPに取り囲まれ、両手を挙げ降伏する。それは安保闘争に敗れた若者の、戦後日本の姿だろう。