あなぐらむ

薄桜記のあなぐらむのレビュー・感想・評価

薄桜記(1959年製作の映画)
4.3
雷蔵×勝新×森一生で描く暗鬱なアヴァン忠臣蔵。
「血煙高田馬場」(堀部安兵衛の名をあげた、本作冒頭の決闘のお話)の伊藤大輔が脚本を手掛けている。原作が素晴らしいとは思うのだが、この「赤穂浪士討ち入り」直前で終わっちゃうのがやっぱ凄いなと。このバッサリ感(みんな結末は知ってるんだし)。
テーマは忠臣蔵の真逆、武家に生きる男女の苦悩と、お家大事とする封建江戸社会の残酷な実際である。言ってみればこれは悪法の下で非業の死を遂げる者たちの物語でもあろう(生類憐みの令が非常に巧みに物語に絡められている)。

筋立てはともかく、この作品を大映時系列(まぁユニバースというか)で見ると非常に興味深くて、いずれも森一生絡みなのもまた興味深い。
即ち、不具のヒーローを演じる事への役者の欲求のようなものだ。
本作の後半で、名家の旗本だった雷蔵は武士の道を貫く為に隻腕となり(ご丁寧に利き腕が落とされている)、それでも執念の復讐(仇討ではない。武士でありながら妻である千春を凌辱し、二人の幸せを壊した外道の五人組に対する復讐である)の鬼となる。丹下左膳よろしく雷蔵は片手、そして銃で脚を撃たれて悶絶、転がりながら泥臭い殺陣で相手を斬り殺していく。どうやったってスターである雷蔵の、この「不自由なものを演じたい」という希求はこのあと「大菩薩峠」でシリアルキラー剣士・机竜之介へと結実していくのだが、不自由な者を希求したもう一人が、勝新太郎なのだ。彼は同じ森一生の「不知火検校」で権力欲の強い盲目の僧を演じて演技開眼、これが後の「座頭市物語」へと繋がっていく。この時期、二人とも盲目の剣士を演じているのだ(同時に、カツライスは二人ともコメディ時代劇も喜々として演じる点も同じ)。
この一種正統派とも言える時代劇は、スター二人の新境地へと繋がっていたのではないか?と夢想したりするのである。

森一生はさすがの采配で、前半はコメディタッチな部分、ほのぼのさせるシーンで物語に引き込んでいくが、夕闇の橋での対決シーンから一気にトーンはダークになり、雷蔵が腕を落とされる辺りは大映妖怪ものを見るような気分にさせる。この緩急が映画を見るものを放さない。その切なくも悲しいラストシーンまで一気である。

非業のヒロイン・千春には本作がデビューとなる真城千都世。ちょっとどうなの、というルックスなのだが、この言ってしまえば武家の呑気な娘さんが全ての事件を起こしていくという事では、適役だったのかなとも思う。以降は二番手、三番手が多かったようだ。
勝新は冒頭の高田馬場の殺陣がやはり見事で、そりゃ町娘たちもキャーキャー騒ぐわな、という感じ。朴訥でシャイな役が意外と合っていると、これは後年の作品を見ても思う。

雷蔵は前半余裕の直参旗本(の坊ちゃま)、後半不幸の渦に呑まれて変貌する魔剣士と、一本で二つのキャラが楽しめる親切設計。雷蔵の映画は眠の旦那はともかく、転落していく男の妖艶な変貌を愉しむべきものである。

知らなかったんだけど、これも池広一夫×松松方弘樹でリメイクされてるのね。松方さんも災難だけど、こっちも見てみたい。