あなぐらむ

男はつらいよ 寅次郎紅の花のあなぐらむのレビュー・感想・評価

2.9
BSテレ東の「土曜は寅さん」枠で鑑賞。
BSで寅さんを見るようになったら年寄りである。それを痛感した。

熱心な寅さんの観客ではないので詳述するような感想は無いのだが、よく言われる「寅さんとは何者なのか」という点について書く(特に満男登場以降)。
本作は阪神・淡路大震災の後、寅さんが被災地・神戸でボランティアをしている描写がある。実際のニュース映像に合成された寅さんの活躍は、ちょっと目を疑う、というか山田洋次の現実に対する意地悪な視線が前面に出た強烈なシーンだと思うが(被災地からの嘆願があったそうだ)、ニュースを見ている柴又の人々もなんとなく「寅なら被災地でボランティアしててもおかしくない」という様な事を言い、納得してしまう。昭和の日本の津々浦々を渡り歩くこの失恋コレクターは、行く先々で「偶然に」「ばったり」誰かと会って、人の恋路を、人と人との関わりを繋いでいく。

彼はテキ屋である。露天商ではあるがやくざ者である。その事が焼け跡以降の許された時代から、そんな人々は表に出てはいけない存在に、時代は変わっていく。(満男の運動会に応援に行ってくれるな、と暗に拒否されるシーンがシリーズ中にある。妹であるさくらにそんな事を頼まれてしまう存在として、実際の寅はあるのだ)
テレビドラマの最終回で沖縄でハブに噛まれて死んだ寅が実体であり、映画版は全てその魂が彷徨しているのだ、と唱える人がいたが、自分も同感である。だからこそ彼はひょっこり被災地に現れ、超法規的な能力でもって政治家を動かし人々を助け、勇気づける事が出来るのだ。彼は戦後を生きる人々の守護天使なのだ。そうでなければ、テキ屋がこんなタイミングで被災地にやってくる筈がない。人々が望めば、彼はやってくる。シューレス・ジョーみたいなものである。
阪神・淡路大震災の年には地下鉄サリン事件もあった。災厄の後、被災地に視察に訪れて回るあのお方のように、いつしか彼は機能している。「拝啓天皇陛下様」と言っていたあの男は、自ら都市伝説となって、今も微かに残る日本と昭和の面影に、ふっと現れるのだろう。

泉の結婚を邪魔しておいて満男は失恋の哀しみから奄美大島で自殺をしようと向かい、そこでリリーと暮らす寅に会う。この「ばったり」は既にばったりではない。ここは常世の島なのである。彼岸なのである。そこで同じような彷徨の人、リリーと過ごしている。彼はもうずっと、この世の人ではなかったのではないか。
結局、若い二人の脆い恋情を蒼い海に解き放ち、また寅はいなくなる。彼には定住はない。都市伝説として、次の町に向かうのだ。さまよえるオランダ人のように。それを山田洋次は(この時点では)寅という男に強いたのである。