あなぐらむ

グリフターズ/詐欺師たちのあなぐらむのレビュー・感想・評価

グリフターズ/詐欺師たち(1990年製作の映画)
4.6
ジム・トンプスンの原作が素晴らしいので、ぜひ併せてご一読を。さすればこの作品のキャスティングが素晴らしい事を実感できよう。

本作はマーティン・スコセッシがプロデュースを担当し、イギリス人監督スティーブン・フリアーズが監督を務めている。ただのフィルム・ノワールで終わるわけがない。この年のアカデミー監督賞候補である。

ジム・トンプスンは大方のパルプ・ノワール作家と同様ハリウッドと縁がある。「ゲッタウェイ」、本作、「アフター・ダーク」、フランス映画でも、彼の作品は原作として使われてきた。本人もキューブリック作品のダイアログを担当したりしている。非常にシンプルで、かつ斜め下に落ちていくカットボールのような強烈な読後感をもたらす作家であり、中森明夫も大ファンと公言している(別にそれはいいか)。
原作に比較的忠実に、歪んだ愛と汚い金に転んでしまう人々を描いた物語であり、そういう部分が「危険な関係」と似通っていなくもない。

さて、犯罪映画には悪女が必要である。本作はその必要十分条件を満たしている。登場する二人の悪女、アンジェリカ・ヒューストンとアネット・ベニングはいずれ劣らぬ悪女ぶりを炸裂させ、そんな女たちの前で主人公のしがない詐欺師・ロイ(ジョン・キューザック)はおろおろするばかりだ。なんつっても二人は自分の母と恋人なのだ。
この女詐欺師・リリー(ヒューストン)とロイの関係は母子でありながらどこか性愛の匂いを感じさせる。当時熟れまくりな時期のアンジェリカ・ヒューストンが演じる事でこの母子相姦という関係性が強度を増しており、そこにこのズベ公母ちゃんと同じテイストのヴァンプな恋人・アネット・ベニングが絡むという何ともはや…という味わいである。
これらキャラクターが、では何きっかけで動くかというと、それが「金」である。「愛」ではない。さらさらない。ジム・トンプスンの小説は愛を描かない。しかも本作の脚本はドナルド・E・ウェストレイクだ。「悪党パーカー」の人なのだ。乾きまくって情愛なんてものはどこにもない。

競馬の売上金をめぐって女同士が策を練る。そしてロイの恋人はあえなく母に殺される。呆気ないが、この豪傑女史にあっては暗黒街の大物も恐れをなすのだ。とんだタフネスを持った女だという事が劇中でも紹介される。そしてロイもまた、この母の手で死んでいく(よくよく考えるとロイは何ひとつ、よい所がない。この辺りもトンプスン印である)。喉から血を流して死んでいく息子の姿に嗚咽しながら、母は散らばった金を拾い集めて去っていく。そしてロスの闇の中へ消えていく。このラストシーンに漂う苦みとうすら寒さは形容しがたいものがある。原作にはもっとすごいパンチが待っているので、最後まで覚悟してお読みください。そう、トンプスン名物「ゴシック太字」が登場します。

恐らくアンジェリカ・ヒューストンを中心に練られた企画だという事もあって(元モデルだ)、そのスタイルの悩ましさ、女っぽさは極上であり、まさにキング・オブ・悪女(次点は「007 ゴールデンアイ」のオナトップ様ね)という風格である。女であり母である事の凄味。これこそが本作の見どころである。一方のアネット・ベニングの「猥婦」とでも言うべき匂い立つお色気(死語)と演技・艶技(大胆に脱いでくれちょります)にも拍手を送ろう。本作の彼女からは濃厚なセックスの匂いがする。傍に立たれただけでこっちも起立してしまいそうな、そんな毒のある「おんな」である。一見頭が悪そうで実は一番狡猾な「女そのもの」を見事に体現している。それをも打ち破るアンジェリカ母ちゃん。
良い所がないのは役柄の話で、本作はジョン・キューザックだからこの主人公を演じられた。この人も作品を見る目が確かな人だ。イケメンなのにさえてない、ツメの甘い男なんてのは彼の独壇場であろう。三者の演技アンサンブルで見せていく辺りが、フリアーズの手法という感じ。

フリアーズの演出は丁寧で導入の仕方なんかも洒落ていて、90年代ハリウッド的な、ある意味ロキノン調なテイストを持っている(配給もユーロスペースだし)。撮影はMTVで名作を手掛けているオリヴァー・ステイプルトン。こいつもイギリス人だ。
ただ、全体にこれはフリアーズの色合いであろうけれども閉塞感があって抜けが悪い感じもしないでもない。ただ原作が原作なんでね。ヨーロッパ映画のテイストが入ってるというか。そのニヒリズム的な部分と「ノワール」が呼応した、強い酒のような味わいのある仕上がりの佳作である。