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PERFECT DAYSのryosukeのレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
3.7
 青い光が差し込む質素な部屋で、男は独身男性とは思えない丁寧さで布団を畳む。前進や創造ではなく、現状を維持することに向けられた些細な生活の動作を、細部に向かう視線が丹念に切り取っていくスタイルは、都市の恒常性を支える清掃員という職業と呼応している。清掃した側から利用客が訪れる公衆便所。冒頭で柄本時生が述べるように、どうせすぐに汚れてしまうその場所を丁寧に清掃する労働を、シーシュポスの神話の苦役ではなく美しい営みとして切り取るのは、カメラの、映画の役割だという訳なのだろう。起伏に乏しい脚本ゆえ、お世辞にも面白いとは言い難いが、良質な小品だったと思う。
 主人公は紛れもなく一人ではあるのだが、孤立しているという印象はない。それは、東京の特に美しくもない無名の地に静かに調和する生活スタイルのためでもあろうし、何よりも、清掃を生業とする彼が、毎朝、近所の老人が地面を箒で掃く音で目覚めるという事実に確かな繋がりを感じさせるという点が大きいかもしれない。同じ日常が繰り返される中で、モノクロの夢の後に、箒と電動髭剃りの音がオーバーラップして朝を省略していく手つきなど洒落ている。
 愛も照れもくぐもった唸り声のような発話の中に凝縮する役所広司の自然極まりない姿が見事なのは言うまでもないが、これと好対照をなす、軽薄そのものの口調の中に善性が滲み出る柄本時生も実に良かった。この人は全身愛され人間なんだな。こういう魅力的なキャラクターを、終盤に電話の声だけであっさり退場させてしまうような欲のないドラマの筆致に老監督の境地を感じる。
 小津を敬愛するヴェンダースが東京に訪れて何を撮るのか。畳の部屋でのトラッキングによる空ショットにも微かな小津の匂いを感じたが、とりわけ巨大なリスペクトを感じたのは、主人公と姪が飲み物を傾ける動作の同調だった。これは間違いなく『父ありき』の釣竿であろう。
 唐突に生活に侵入した姪によってルーティーンに乱れが生じ、自転車に跨った二人の「世界」をめぐるダイアログは、これまで高いリアリティが保たれてきた作品の中で明らかに嘘っぽく浮き上がっている。単なる失敗かもしれないが、主人公にとって二人の暮らしは例外的な事象に過ぎず、あくまで一人で暮らすのが本当なのだということを示しているようにも思う。
 別れの後、シフトを飛んだ男のせいで倍の仕事をこなす彼は珍しく苛立ちを露わにし、いつものスナックで見てしまったものに動揺した彼は、ハイボールを手に川沿いに向かい、タバコに咳き込む。しかしこのルーティーンの破れは、『ジャンヌ・ディエルマン』の激しい破局のようなものは予感させず、僅かにさざ波が立った水面はすぐに鏡面のような姿を取り戻すだろうと思わせる。
 同じことの繰り返しの日常に僅かな乱れを生じさせることで生まれるドラマ。その静かなクライマックスに現れるのは三浦友和。何も分からないまま死んでいくという厳然たる事実に直面した男のために、主人公は、影を重ねることで世界の小さな秘密を一つ解明してやろうとする。そしてラストシーン、ワンカットの中で人生の喜びも悲しみも全てまとめ上げようとする表情を浮かべながら、カセットテープの音楽に合わせてハンドルを左右に動かす役所広司のバストショットは、まるで世界とペアでダンスを踊っているように映る......。
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