ryosuke

落下の解剖学のryosukeのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
3.8
 観客が皆死体の導入を予期している中でどのようにそれを提示するか。大音量の音楽に観客の気を逸らしつつ、全く死の匂いがしないショットの中で、盲導犬の動きに合わせてさりげなくカメラが動くと、死体が画面に侵入する。これは良い手つきだ。全体的に、登場人物の側に寄り添ったカメラが、時折粗雑な動きを見せることも厭わずに、人物の挙動に都度呼応するドキュメンタリー・タッチの撮影であり、個人的には好みではないスタイルなのだが、緊密な脚本、とりわけ濃密な法廷劇により2時間半の尺を感じさせず、偏愛するような強い個性もないが、かといって何らの隙もない佳作だった。
 本筋とは関係ないが仕事柄フランスの司法制度が気になってしまう。保釈の裁判が法廷での対審で行われることも興味深い。殺人既遂で、しかも被告人の同居の息子が重要証人として出廷が予定されているにもかかわらず保釈されることに彼我の差を感じてため息。わざわざ被告人宅に人を派遣してまで保釈しようなどというコストの掛け方に関する意識も日本とは程遠い。作中で述べられていたように、フランスでも珍しいことなのかもしれないが、本邦ではほぼあり得ないからな(保釈しても確実に抗告、準抗告審で取り消されるだろう) 。『ツイン・ピークス』でも殺人既遂で保釈されてたなあ。
 尋問で論告・弁論かと思うほどに意見を述べまくるのはドラマだからなのかフランスではああいうものなのか。法廷に皮肉なジョークが持ち込まれるのはお国柄?(検事(アントワーヌ・レナルツ)のねちっこい追求は実にリアル) 証人尋問と被告人質問がシームレスに接続されているのも面白い。被告人が即時に反論できるシステムで、法廷の主役は被告人だということが明確になっているように思う。子供の尋問で傍聴が制限されていたようだが公開原則との絡みで問題はないのだろうか(期日外尋問にしたのか?)。等々、どうでもいいことを気にしてしまった。
 終盤まで主に主人公サイドの限定された視点で進んでいった物語に、別方向から強烈な光を照射する夫婦喧嘩の録音とその再現映像。これが強烈な代物で、徐々に、緻密に練り上げられていく主人公のフラストレーションが最高潮に達する瞬間の迫力は素晴らしい。サンドラ・ヒュラー、剥き出しの熱演だった。ベルイマンが家庭内不和を描く最良の(最悪の)瞬間に肉薄しているというと言い過ぎだろうか。暴力の瞬間に法廷に戻り、音だけで想像を掻き立て、寒々しい空気が流れる無言の空間を映し出す。
 臨場感豊かにカメラポジションを切り替えながらの法廷劇に更なる奥行きを生み出しているのが傍聴席の息子の存在だ。客観的な再現映像なのか、あるいは誰かの想像なのかがファジーなまま提示される過去の映像の後に真顔の彼を映し出すことで、観客に彼の内心の葛藤への想像を強いる。母の不倫に話題が移行し、あるいは夫にはこの一度しか暴力を振るったことはないと彼女が述べると、息子のすぐ側にカメラポジションが移行し、性急なズームで被告人に寄る。母と子の間の(観客の想像の中の)目線の交錯に緊張感がある。
 終盤、映画は無罪判決の宣告の瞬間を省略する。ここに安易なサスペンスとエモーションを生み出さないのは誠実な語り口であり、これだけ真相解明についての観客の欲求に答えず終わっていくことも珍しいだろう。実際のところ、刑事裁判で真実が明らかになるなどというのは幻想であり、巻き込まれた人々は撹乱された生活を戸惑いながら再開するしかない。
 また、判決宣告にフォーカスしないのは、息子との対面こそが真に緊張を強いるものだからでもあるだろう。ほとんど何も語らず、見えない目を哀しみで濡らしているように映っていた息子、間違いなく自らに疑いを抱いたであろう息子の存在が生み出していたサスペンスは、帰宅した主人公と二人きりで、暗い部屋で向き合う瞬間に最高潮に高まる。彼が何か恐ろしい一言を述べるかもしれないという予感は生じるのだが、結局彼は何も言わない。これもまた真実だろう。どこか神の視点を託されたような印象のある犬だけは寄り添ってくれる。全ては割り切れないままに進んでいくしかない。
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