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枯れ葉のryosukeのレビュー・感想・評価

枯れ葉(2023年製作の映画)
3.8
 冒頭、小気味良い環境音の連続がリズムを生み出し、小洒落た画がテキパキとしたテンポで寸断され連鎖していく。81分という上映時間については、物語が成立するギリギリまで切り詰めたエピソード数だけではなく、この思い切りのいい省略編集の賜物でもあろう。絶対に90分程度で語ることができるこのような題材でも、現在の状況からすれば、他の監督であれば短くて100分、あるいは平気で130分やる人もいるだろう。カウリスマキはこの点だけでも実に正しい。
 全体的にはいつも同じ味で高品質というカウリスマキのイメージは超えないものの愛すべき良作だった。同時代ときっちり組み合うためにこれでもかとウクライナ侵攻の情勢を伝えるニュースの音声を流し、ヒロインに「酷い戦争」とまで言わせる。これらは、映画からはみ出してしまっているようにも思うが、言わせずにはいられないというカウリスマキの性質も人としては好ましい。
 本作も、音に関するカウリスマキの戦略はいつも通り。基本的には自然音で構成しつつ、「映画内の」音楽、歌で作品をカラフルに彩る。淡々とした画面連鎖の中で、場面転換の前に音楽が先立ち、あるいは次の画面に染み出すことで一定の引っ掛かりを生み出す。
 しかし、本作では時折「映画外の」劇伴が用いられる。前述の戦略もあって、それ自体が映画から浮き上がるのだが、そのように劇伴が用いられるシーンではある種のパロディが指向されているのではないか。一度目は、路面電車に乗って去っていくヒロインと男の切り返しに抒情的な劇伴が重なるのだが、あまりにメロドラマ的な映像・シチュエーションにそれっぽいメロディーが重ねられており、ストレートにやっているだけにしては......。映画にメロドラマの典型を持ち込み、それを表情が乏しく声に抑揚のない役者にやらせるという遊びではないかと思うのは穿ち過ぎだろうか。二度目に同様の劇伴が使用されるシーンで、電話番号を書いた紙が風に飛ばされるシチュエーションについても同じく。
 ゾンビ映画を見て『田舎司祭の日記』『はなればなれに』などと、お芸術論争が飛び出すのが可笑しい。『気狂いピエロ』のポスターも堂々と映るが、やはりカウリスマキの赤と青はゴダールから来ていたんだな。ゴダールのどぎつい色に北欧的上品さをまぶした上で。カウリスマキはブレッソンぽさもある人だし、オマージュがストレートすぎて嫌味がないのがまた好ましい。
 散々探し歩いた後のあの映画館での再開。財布を厳重に仕舞う動作がチャーミング。「盗られないでね」というヒロインのセリフが、眠りこけた男がチンピラに服をまさぐられていたあの路面電車の晩を思い出させる。画面の左右にそれぞれパッと捌けて別れるさっぱり感が心地良い。カウリスマキのカップルは喧嘩も簡潔。「アル中は御免よ」「俺は指図が御免だ」
 三度目に「映画外の」情緒的な劇伴が流れ、タイトルである枯れ葉、そして青空、水面を順に映し出し、シンプルに転機が近いことを知らせる。メロドラマに必須の困難、試練をたった2カットで済ませる手際が素晴らしい。オフの音声で示される事故。雨が流れ落ちる窓の外を見つめ、部屋の電気を消すヒロイン。
 そしてさっぱりした後味のラストシーンも実に良いものだった。沈黙に息が詰まる180度切り返しと静寂を切り裂く素早いウインク。犬の名前はチャップリン。『モダン・タイムス』のラストカットのようにカップルは画面奥に去っていく。松葉杖と犬を付け加えて。
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