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哀れなるものたちの砂場のレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.2
原題「Poor Things」を「哀れなるものたち」という邦題にしたのはなかなか良いと思う。漢字的にブニュエルの「哀しみのトリスターナ」を想起させる。あちらも変態ジジイが若いトリスターナ(カトリーヌ・ドヌーブ)を囲う話で、足の切断という外科要素も似ている。本作「哀れなるものたち」はなかなか攻めているなあと思った。もちろんエマ・ストーンの激しい性的なシーンもそうだけども、女性は誰とヤッてもいいという性の自由化というテーマが攻めていると思うのだ。
遡ると60年代に女性人類学者マーガレット・ミードがサモアのフィールドワークを通じて性の自由化を提唱、60年代の性革命に大きな影響を与えた。「哀しみのトリスターナ」のドヌーブもそのような性の自由化の影響を受けてそうだ。

作家のカトリーヌ・ミエとカトリーヌ・ドヌーブは「me too」運動を批判している。彼女らによると「me too」は禁欲的すぎるのであり、女性をか弱きものとみなしているとする。トリスターナはか弱き女性ではなく、男とヤリたいという自己決定をしているのだ。現代のフェミニズム運動が禁欲的になっており、性の自由化の闘士としては「違う、そうじゃ無い、、」と言いたいのであろう。しかしながら現代において性の自由化論が受け入れられにくいのも事実。一方で身体の自己決定権(Bodily Autonomy)という形でセックスや中絶の自己決定権という主題で復活している気もする。この古くて新しい問題についてややこしい界隈の混乱を逃げずにドカンと持ってきたランティモス監督と、熱演のエマ・ストーンはすごいと思う。エマ・ストーンは現代のカトリーヌ・ドヌーブだ

自分の身体のことは自分で決定するというのは当たり前のようでいて、当たり前ではない。アメリカでは中絶禁止の州も多いと聞く。いみじくもBodily Autonomyというように、身体という言葉で自由意志の問題にしているのが興味深い。自由意志というとなんとなく脳とか心、意識などの問題として考えがちだが現代では身体の問題なのであろう。本作も脳というよりも身体の方に比重が置かれているように思う。脳は入れ替え可能であるが身体はコノ身体が唯一のものなのだった。
そういう意味で本作の舞台はヴィクトリア時代のスチームパンクっぽい架空の都市なんだけど主題はとても現代的だ。ベラは自分の胎児の脳を移植され最初は幼児レベルの知能であったが、次第に成長してゆく。労働、性の自由、貧困の実相、社会主義、、、、総じて男はアホっぽいか、ベラの魅力の前にひれ伏すか哀れなるものたちよ。男をコケにしている反す刀で禁欲的フェミニズムへもNOを突きつける。ブニュエル時代のカトリーヌ・ドヌーブのように

風景や室内の調度品などが絵画のように美しく設計されており、映像面でも楽しめる良い作品であった
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