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哀れなるものたちのryosukeのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
3.7
 超広角レンズを乱用するランティモスの強烈なスタイルは胸焼けするような代物なのだが、設定がこれまた強烈なので均衡は取れているようにも思う。新生児の脳を埋め込まれれば世界もああ見えるかもしれない。どぎつい色彩で設計された嘘の世界もシンプルに見ていて楽しい。上下の誇張された落差によって、雷に打たれたようにベラの倫理観を目覚めさせる「アレクサンドリア」の外連などやはり凄い。
 とはいえ長すぎるな。これだけの上映時間が必要なほど複雑なものが紡がれているとは思わない。売春宿(『女王陛下のお気に入り』にも出てきたな)に留まる辺りから見せ物ショーとしての目新しさも消えて停滞が顕著になり、テーマ性に偏向してしまった嫌いがある。『女王陛下のお気に入り』は十分物語として統合されていたが、本作は歪な怪作にとどまった印象。
 テンプレ的な電気を発する謎の装置によって誕生するベラ。悪い冗談のようだがSF映画の大先輩『フランケンシュタイン』への敬意もあるはずだ。ゴドウィンもつぎはぎだし。ウィレム・デフォーほどつぎはぎが似合う俳優も珍しいだろう。   
 もちろんエマ・ストーンもカマしてくれた。下半身に強烈な振動をもたらす楽器に導かれて珍妙なダンスを踊り出すパーティー会場の場面など、彼女のパフォーマーとしての爆発力、漲る身体性に感心させられた。巨大な振り幅のある難しい役柄を堂々と演じており、馬車内で大口を開けて威嚇する姿は人間のそれではなく完全に動物なのだが、これが帰還の際には、「売女が戻りました」と言われて不敵かつ強靭な笑みを浮かべるところにまで成長している。
 ベラが死体の男性器をつまんで遊び、その目を滅多刺しにする序盤のシーン。『女王陛下のお気に入り』にも全裸男性にオレンジをぶつけるシーンがあった。「有害な男らしさ」を突き刺すことを目指す近年の映画において、男性器の間抜けな形体をおちょくる描写は頻繁に見られ、その使い方にもセンスが問われるようになってきているのではないか(e.g.『MEN 同じ顔の男たち』、『ROMA』、リメイク版『サスペリア』、『ミッドサマー』等)。
 ベラの急激な知性の獲得を、愛らしい喋り方が失われると嫌がるダンカンの女性観。いわば「必要的共犯」であるはずの売買春を「女が」する最低のことと切り捨てる感覚。そんな彼が自分に依存しボロ屑のようになっていく様を、悪意によってではなく、単に真っ直ぐな公正の感覚によって、(チャンスも与えつつ)見捨てる筋書きはバランスの取れたものだと思う。元夫(元父親)の豪邸でもやはり誇張された男性性の悪癖と戦うことになる。拳銃を振り回す姿はアレのメタファーであろうし、ご丁寧に割礼まで試みるのだから欲張りセットという感じ。
 『愛のコリーダ』『アイズ ワイド シャット』並みに痴態に塗れていたにもかかわらず、終盤、木々の合間の小道に至って初めて普通のキスシーン(アドバイス付き)が披露されたのだと気づく。二人の切り返しにヤギが割り込むカットを見ながら、どこまでいっても安易なメロドラマに流れるつもりはないというユーモアセンスを好ましく思ったが、このカットはそれだけで済むものではなかったようだ。衝撃的な結末はベラの倫理観が許すものなのかやや疑問ではあるが、これでも元のレベルからすれば「向上」なのだという強烈なブラックユーモアなのだろう。グラスをぶつける(劇中唯一の?穏やかなベッドシーンを見せた)二人の女はシスターフッドの勝利を祝福している。反省してください、ヤギ将軍。
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