シズヲ

ベニスに死すのシズヲのレビュー・感想・評価

ベニスに死す(1971年製作の映画)
4.2
“芸術家”として枯れた老人と“真なる芸術”を体現する美少年。老いと若さ、虚構と真実、理性と感覚。その境界と対比に“挫折感”や“伝染病”という破滅のイメージが重なり、やがて死の倒錯へと縺れ込んでいく。この映画で美少年タッジオを演じたビョルン・アンドレセンのその後の人生や彼に対するヴィスコンティの仕打ちを思うと複雑な気持ちになるが、映画そのものは紛れもなく秀逸なので舌を巻く。少年の美しさに老人から見た“芸術”と“破滅”を投影し、そこに卓越した説得力を持たせていることの凄さ。終盤の白塗り、最早少年に傾倒した芸術家の死に化粧めいている。

とにかくダーク・ボガードがビョルン・アンドレセンを追い求めては眺め続ける、視姦的な映画である。両者の直接的なドラマすら存在しない。言ってしまえば「老人が理想の美少年をストーキングして遠目から見つめる」という偏執的な描写が只管続くだけの物語なのに、そんな内容をここまで耽美に昇華させているのだから凄まじい。美少年と出会った老人の動揺と情動、自己破壊へと向かう陶酔を繊細な表現で訴えかけるボガードの演技力、そして“完璧な芸術美”としてこれ以上にない説得力を持つビョルンの存在感が本作の肝となっている。ビョルンのビジュアルは言わずもがなだけど、いざ見てみるとボガードの巧者ぶりに唸らされる。

両者の存在感と同じくらい映画を形作っているのは、やはり音楽や撮影を中心とする甘美(そして何処かデカダン的)な演出である。冒頭から印象的に用いられるグスタフ・マーラーの音楽、この映画の骨子となる退廃美を象徴している。優雅な旋律と共に切り取られた情景の数々もまた秀逸。夜明けの海を往く蒸気船を映し出したオープニングのカットから始まり、その後もベニスの街並みやビーチを捉えた映像やくすんだ色彩が随所で鮮明な印象を残す。奥行きや長回しによる撮影、倒錯的な内容に一種の品格を与えている。20世紀初頭という時代を反映した衣装設定も、ビョルンのみならずボガードや女優陣など含めて洒落てて好き。ビョルンの母親役、さりげなくシルヴァーナ・マンガーノでしみじみする。

いざ見てみるとタッジオは浜辺で友達とじゃれ合ってたり、拾った貝殻を母親にプレゼントしたりなど、思いのほか年相応の少年として描かれている。けっこうニコニコ笑ったり戯けたりもしてるので、何だか素朴な微笑ましさがある。そんな少年がふとした拍子に妖艶な美しさをちらつかせることの倒錯性。ボガード演じるグスタフとすれ違ったり目を合わせたりする時の微笑み、ひどく蠱惑的な魅力に溢れている。物憂げな表情でピアノを弾く姿の耽美さもさることながら、ラストシーンの麗しさはその構図も相まって蜃気楼のような趣さえ感じてしまう。尤も現在のビョルンに関しては、もう痛ましい搾取とは無縁でいられることを願うばかりである。
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