面白いシーンはあるんだけどトータルで観たら別にそんなに面白くないというか、160分もかけて描くほどの物語には思えなかったな。そんな『憐れみの3章』でした。でも別段つまんないというわけではなくてまぁまぁ面白かったんだよ。でもまぁまぁ面白かったは所詮まぁまぁ面白かったでしかなく、めっちゃ面白かったはおろか面白かったでもない。いや、繰り返しになるがシーン単位ではおぉ! 面白い! となるような部分はあるけど映画としてトータルで感想をひねり出すと、まぁまぁかな…と消極的な感じになるのである。
でもヨルゴス・ランティモスという監督ってそういう感じの作品ばっか撮ってきたよな、とも思う。『聖なる鹿殺し』とか『ロブスター』とかはまさにそんな感じで、ナンジャコリャ!? という不条理さや不可解さが前面に立ちながらも、それでいて何かよく分からんが面白いな…というところもあるのだ。ちなみに俺はランティモスの前作『哀れなるものたち』を観た後に『ロブスター』と『女王陛下のお気に入り』を見たのだが、これが結構印象が真逆というほどに違っていて『ロブスター』の方は上記したようにナンジャコレ!? という映画だったが『女王陛下のお気に入り』の方はかなり普通に理解できる映画だったのである。
これはあくまで『憐れみの3章』の感想文なのでその2作の比較とかは最小限にしておくが、どうも原液に近いランティモス汁は『ロブスター』とか『聖なる鹿殺し』の方なのではないだろうか、と思ってしまう。それでいくと俺があんまりおもしろいと思わなかった『哀れなるものたち』や『女王陛下のお気に入り』は自分の特徴や癖といったものを意識的に出てこないようにして大衆ウケを狙った路線の作品ということかもしれない。俺のその感覚が正しければ、この『憐れみの3章』は結構監督のやりたいことやったんじゃないかなと思いますね。んで、そのやりたいことやった感のあるシーンは確かに面白かった。
全体のお話自体はあんまり大真面目に考えても仕方ないというか、きっと考察とかできるように宗教や時事ネタなど色んな含みを持たせてはいるのだろうが、そういうのあんまり興味ないので割愛して説明すると本作はタイトル通りに3つのエピソードから成り立っていて、自分の人生を取り戻そうとする男と、海難事故から生還した妻が別人のようになって戸惑う男と、カルト宗教に所属していて死者を蘇生させられる人物を探す女、という3つのお話が語られる。本作がややこしいのはそれぞれ別のエピソードであるにも関わらず登場人物はスターシステム的に同じ人が別々の役を演じているのである。ただ一人を除いて。というのが本作の筋書きである。
いや、分かんないよね。それだけ言われても分かんないですよね。俺も分かんないよ。
これはなんというかランティモス節全開みたいなことを上で書いたが、それにしたって今まで以上に不可解なものであった。そりゃ『聖なる鹿殺し』も『ロブスター』もナニソレってなるような部分はあったがまだ一本のお話としては通底されていたテーマとかあったじゃないですか。でも本作はそこも変則的な章仕立ての断片的なものになってるからマジでよく分かんないんだよ。
でもそれでいいんじゃないかなぁ、とも思いましたよ。160分もかけて描くような話かよ? と最初に書いたが、でもこれだけの時間をかけて「は?」ってなるのが正しい観方でもある気がする映画だとも思うので、多分それは監督の意図通りなのだろう。ナンセンスとはそういうものです。多分、あぁだこうだと宗教だとか神話だとかから色んな物事を引用して実は『憐れみの3章』はこういう映画だったのだ!! と言うことはできるかもしれないけど、そんな衒学趣味に耽溺するよりもただ変な映画を変なままで楽しめばいいんじゃないかなという気になりましたね。
ダッジ・チャレンジャーをかっ飛ばすエマ・ストーンとか変なダンスを踊るエマ・ストーンとかエンコ詰めるエマ・ストーンとかにこれという意味を見出さずに、まぁ現実の世界も大概変なものだからな! と思いながら見守ればいいのではないだろうか。
最初に書いたように正直一本の映画として面白かったかと言われれば、まぁそこそこは面白かったかな、としか言えないのだが変なシーンはいっぱいあったので楽しい映画でしたよ。まぁ映画の完成度的なことを言うなら観た順番が悪かったかもな。この日は先に120分以内でバッチリ起承転結を描き切った『西湖畔に生きる』を観てしまったから、シンプルに良い映画という意味では本作は分が悪かったかもしれない。
でも変な映画としては面白かったですよ。バーとかでBGVとして流れてたら思わず見ちゃう映画だろうと思う。