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『南』に投稿された感想・評価

4.3
 大傑作。現代のBlack Lives Matter以前からこのような痛ましい事件はアメリカでは多数起きており、その中のテキサスで起きた一事件にシャンタル・アケルマンはにじり寄るのだが、対象への関わり方が完全に常軌を逸している。それはクライマックスのあの6分弱の重苦しい長回しの持つ根源的な怖さにある。前半部分にも僅かに登場するあのトラッキング・ショットは、前半部分では墓地までの移動というあらかじめ結論付けられた距離の移動でしかない。クレール・アテルトンは尋常ならざる長回しのシークエンスを序盤に数分だけ使う判断をしたものの、果たしてあのシークエンスをたった数分だけ使用しただけで良かったのかアテルトンはひたすら逡巡したという。結果、改めて浮かび上がったひき逃げを想起させるマテリアルはクライマックスに持って来る他なかったというのだが、その衝撃は今もなお色褪せない。

 シャンタル・アケルマンの映画は常に応答しない手紙のようで、アケルマンは既に天国に行った被害者と応答しない手紙を繰り返す。そのすれ違いの狂気にも似た視線をまざまざと見せつけるのがシャンタル・アケルマンのドキュメンタリーの並々ならぬ視点や距離で、それは実の母親のアウシュビッツの体験とも無縁ではない。迫害される人々の視線に強迫観念に囚われたアケルマンはどっぷり浸かっており、物語を語ろうとしない対象を浮かび上がらせる辺りが完璧な傑作となる。斉藤綾子先生は20数年前に初めて観た映画を今回改めて観て、最後の6分間のショットはアウシュビッツに強制連行される母親の思いを映像化したのではないかと話されていて、思わず悲鳴を上げてしまった。クレール・アテルトン曰く、白人による黒人が占有する教会の収奪は常態化していたらしく、今作のオープニングとラスト前に持って来た教会も収奪後の白人による教会だと聞いて、震えが止まらなかった。アケルマンは再度渡米を考えていたのだがその時点でマテリアルは揃っていたのだが、当初考慮していなかった追悼集会の様子を奇跡的にカメラに収めることが出来たという。2人には当初からビリー・ホリデイの『奇妙な果実』が念頭にあったらしいが、最後まで映画に『奇妙な果実』を入れ込むことはなかった。アケルマンの熱量は時に奇跡を呼び込むような感覚で、ドキュメンタリー3部作の中でも並外れた傑作である。必見!!
菩薩
-
ヒッチハイクをしていた黒人男性が白人至上主義者が運転する車にチェーンで繋がれ約3.2キロ引きずられる道中で右腕と頭部が切断され無惨に殺害された事件、これを機にヘイトクライム防止法が制定されたとのこと。白人の保安官?なんか偉そうな人が確かにこの地域に人種差別は存在しているがそれは小さな問題に過ぎず経済的な問題の方がよっぽど大問題だ、と語るのが全てだと思う、自分達はその標的になる事は無いだろうから黒人がいくら死のうが「小さな問題」に過ぎず彼が言うところの経済的問題にもきっと人種差別がもたらす格差の問題はおそらく含まれない。こうした過程からBLMに辿り着くのは必然だと思うし、今般の都知事選の惨状を目の当たりにするに日本がこのなる日も近いのではないかと思わずにいられない。車載カメラが淡々と映し続ける車道、こうして被害者は死に至らしめられたのかと思うとあまりにも酷い。差別主義者にとっては人種=国で国=人種であるとの言葉が重くのしかかる。
4.1
【凄惨を追ったカメラが映す憎悪に対するエンパワーメント】
■あらすじ
アメリカ南部での映画製作を計画していたアケルマンだったが、撮影直前、テキサスで黒人のジェームズ・バード・ジュニアが白人至上主義者たちによってリンチの果てに殺害される。この恐ろしい事件に焦点を当てながら、アケルマンは地元の人々へのインタビューを通し、アメリカ社会に潜む憎悪とその背景を検証していく

■みどころ
シャンタル・アケルマン映画祭2024より。
ある黒人がリンチ殺人された事件を追ったドキュメンタリー映画。

事件の背景にある思想を複層的に映し、その現場を映す事で事件の残虐さの残り香を追体験するような実験的な手法が印象的。
セルゲイ・ロズニツァのアウステルリッツやワン・ビン作品にも通ずる興味深さはあり、様々な感情・惨さを現在の時間軸で場所をドキュメントする事で当事者の苦しさを現出するような感覚を覚えた。
割とワン・ビン『死霊魂』のような閉塞感すらあって明るいのにどこかドライで何とも言えない不気味さがあったのを覚えている。

本作を含むドキュメンタリー三部作では映像を主役に立ててあまり語らない構成に仕上がっている。
その中でも本作は当時の状況たちという点を集めて見えてくる真実を映したり、ジェームズ・バード・ジュニア氏のリンチ殺人に関わる背景・その後のムーブメントを追っていく。
ここにアケルマン監督への優しさ、凄惨さを風化せずに現地の人々の複雑な苦しさを残していく姿勢の真摯さに心打たれました。
そういった意味で本作はアケルマン監督のドキュメンタリー映画の中で『ノー・ホーム・ムーヴィー』に並ぶ傑作だと感じました。

P.S.
正直なところ、この映画自体の面白さ・内容に対する主題は本作を見ただけではピンとこなかった。
けれども、この映画とは別に森美術館で開催しているシアスター・ゲイツ展を観に行ったところ本作後半で語られる家族意識と「彼の死を無駄にしない」というエンパワーメントの枝葉たる要素を感じて深く考えていた。
2つの映画・個展を通じて人種と上下関係によって支配・被支配の関係性が歴史を経ても循環し、様々な場所で発生する事をシャンタル・アケルマン映画祭2024で感じました。

そこに、その場所を残して発信し続ける事に何か大きな意味が秘められている、そんな映画。