枯葉剤の後遺症で亡くなった祖父は自らを「参戦勇士」だと称したが、戦争については何も語らな かった。韓国はベトナム戦争の特需で豊かさを手にした。 私は沈黙の世界を知るために旅をし、思考し、そしてフォンニィ村でカメラを回した・・・ その場所には歴史の中で忘れ去られた物語があった。 風光明媚なベトナムのリゾート都市ダナンから車で20分ほどの場所にフォンニィ村はある。ここでは 毎年、陰暦の2月になると村のあちらこちらでお香の匂いが漂う。1968年 同日同時刻に亡くなった 村人たちを弔い、残された者たちは慰霊碑の前で50年間欠かさず祭祀を執り行ってきた。 “私は目撃した。それは韓国軍人だった” あの日、家族を失ったタンおばさんは当時を思い出して涙を浮かべた。あの日の出来事を目撃した コムおじさんは身振り手振りを交えて、当時を再現して見せた。そしてあの日の後遺症で視力を 失ったラップさんは、語ることのなかった記憶を絞り出すように語り始める・・・
1895年から1945年までの51年間、日本の統治下にあった台湾で教育を受け、日本語を話すことができる“日本語世代”の人々。酒井充子監督が“日本語世代”の5人にインタビューを行い、当時や戦…
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>>続きを読む慰安婦たちは性奴隷だったのか?強制連行は本当にあったのか?慰安婦問題論争の日・米・韓の中心人物にインタビューを敢行し、激しく対立する互いの主張を丁寧に聞いていく。さらに、多くのニュース映像…
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>>続きを読む米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。北部で展開されたゲリラ戦やスパイ戦などに動員されたのは、まだ10代半…
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