
枯葉剤の後遺症で亡くなった祖父は自らを「参戦勇士」だと称したが、戦争については何も語らな かった。韓国はベトナム戦争の特需で豊かさを手にした。 私は沈黙の世界を知るために旅をし、思考し、そしてフォンニィ村でカメラを回した・・・ その場所には歴史の中で忘れ去られた物語があった。 風光明媚なベトナムのリゾート都市ダナンから車で20分ほどの場所にフォンニィ村はある。ここでは 毎年、陰暦の2月になると村のあちらこちらでお香の匂いが漂う。1968年 同日同時刻に亡くなった 村人たちを弔い、残された者たちは慰霊碑の前で50年間欠かさず祭祀を執り行ってきた。 “私は目撃した。それは韓国軍人だった” あの日、家族を失ったタンおばさんは当時を思い出して涙を浮かべた。あの日の出来事を目撃した コムおじさんは身振り手振りを交えて、当時を再現して見せた。そしてあの日の後遺症で視力を 失ったラップさんは、語ることのなかった記憶を絞り出すように語り始める・・・
戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
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>>続きを読む慰安婦たちは性奴隷だったのか?強制連行は本当にあったのか?慰安婦問題論争の日・米・韓の中心人物にインタビューを敢行し、激しく対立する互いの主張を丁寧に聞いていく。さらに、多くのニュース映像…
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>>続きを読むノーベル平和賞候補になり、朝日賞や埼玉県民栄誉賞などを受賞した水墨画で風景画家の丸木位里(1901‐1995)と人間画家の丸木俊(1912‐2000)夫妻は、「日本人側から見た記憶を残して…
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