ジョージア映画祭5本目。
そして先日結構なベタ褒めをした『昼は夜より長い』のラナ・ゴゴベリゼ監督作であります。直近に感想文を書いた同じくラナ・ゴゴベリゼの『渦巻』はまぁまぁ面白かったというくらいの感想だったと思うが、スコアを比べても分かるように本作『ペチョラ川のワルツ』はそれよりもやや良かったかなという印象の作品でしたね。ただその辺はどちらが優れているなんてことはほとんどなくてまぁ大体同じような感じという印象でした。個人的には『ペチョラ川のワルツ』の方が題材的にも好きかなっていうくらいですね。
お話は1937年、スターリン時代のソ連がその衛星国で行ったいわゆる大粛清の模様を描いたものです。細かい背景の説明を始めたらいくら文字数があっても足りないし、あくまでこれは映画の感想文なので詳細は省くが要は大規模な政治弾圧が行われた時代で本作の舞台であるジョージアも例外ではなくそれに巻き込まれた母と娘の物語というのが本作の骨子ですね。具体的なお話としては父親は恐らく処刑されて母親が極地(いわゆるシベリア送りというやつだろうか)送りにされたという状況で家に隠れていた女の子がいるのだが、その家を接収しようとしたソ連中央の軍人と娘が鉢合わせて奇妙な同居が始まるというものと、その娘の母親を始めとして極地に送られた女性たちの姿が交互に描かれるというものである。
このプロットだけならばかなり面白そうなお話になりそうな感じがするんですがね、しかし何というか映画的に面白い展開というのは悉くない作品であったんですよね。というのもだね、ソ連の中央委員会の弾圧によって両親を奪われた少女がその尖兵たるソ連兵と意図せず同居するというお話しならそこに立場を越えた二人の交流のようなものが描かれるであろうと期待してしまうのだが、本作ではそこがほとんどなかったんですよね。いや、全くなかったわけではなくて交流自体はあるんだけどそこはかなり冷たい感じでどこまで行ってもジョージアとソ連との断絶を感じるようなものばかりなんですよ。もちろん下手なヒューマンドラマを入れて融和路線を描けばいいというものではないし、本作はおそらくソ連崩壊直後に制作された映画だと思うのでここぞとばかりにスターリン時代のクソさを糾弾するという意図があったのだろうから安易な和解やハッピーエンドなどはもってのほかなのは分かるのだが、身も蓋もない言い方すればじゃあドキュメンタリーでもよかったのでは…とも思ったんですよね。
でも物語的な盛り上がりはなくてもひたすらにスターリン時代にソ連の衛星国が舐めさせられた辛酸が描かれるので非常に強烈な情念を感じてその凄まじさはある。これは後で知ったことだが本作はラナ・ゴゴベリゼ監督の自伝的側面もあるようなのでそれを知った上で再度観たらまた違う印象を受けるかもしれないですね。そこがまぁ、トレードオフ的な感じになっていて映画的な娯楽を求めたら失われてしまうものだったのかもしれない。
まぁそんな感じで、ものすごくハードな内容の映画なんだけど映像はとても美しく幻想的ですらあるというのも強く印象に残った。いやこれが凄いんですよね。特に女性たちが送られた極地の風景がどう見ても人間がまともに生きてけない地獄なんだけど、純白で美しい風景なんですよね。それはもしかしたら理論としての共産主義の本質とそれを実践できない人間の愚かしさの対比になっているのかもしれないと思いました。タイトルが示すワルツのシーンは、その両者の狭間で踊り続ける人間の姿なのかもしれない。
もうちょい救いのあるラストを…とも思うが、本作に込められたメッセージを考えればまぁハッピーエンドにするわけにもいかないだろうとも思うので仕方ないのかもですね…。