さすらいの雑魚

鹿の国のさすらいの雑魚のレビュー・感想・評価

鹿の国(2025年製作の映画)
4.0
現人神が神使に霊力を分かち与え、鹿の生首が並び猟師が献納する鹿肉が供される狩猟祭儀が伝承され、昏い御室にて執行される密儀には、名のみ伝わる太古の秘神を形代に降ろし、神使信徒が奉祝の技芸を献ずる。

と、書くと、世界観はミッドサマーかウィッカーマンってなりますが、こちらの舞台は現代日本の諏訪市。
僻地の孤島じゃなくて、名古屋から2時間も車で走れば到着する、諏訪湖とか御柱祭で有名な長野県のメジャーシティだ。
なのに、農耕以前の先史時代の生きた信仰が遺ってる。
ギョベクリ・テペとかみたく遺跡とか壁画じゃなくて、神殿あって、神官が仕え、信者が獲った鹿肉持って寄る。
そしてなにより、アレらは確かに名作だけど、フィクションなんだな。こなたはドキュメンタリー♪
すげぇぞ諏訪市!ヤバいぞ諏訪大社。

そんなG7に連なる先進資本主義国家の、令和で21世紀な今も、脈々と息づく太古の信仰と神事に彩られた四季を、美しいグラフィックでスクリーン上に再現したドキュメンタリーが本作。 
監督もおっしゃってましたが、新しいもので上塗に潰してゆくのでなく、地層のように積み重なる諏訪の魅力的な文化。
新旧の事物がグラデーションを成し、微妙なバランスと……噴出する過剰な何か。
を、繊細に切出すこの美意識はなんぞや?だったのですが、舞台挨拶での落ち着いた声で丁寧に話される様子を見て、これは監督さんの(能力は大前提として)人柄だな、と得心した訳で。

ムー民でカラパイアなボクは、縄文に遡る今となっては由来も系譜も不明な謎の神ミシャグジ信仰とか、文字の上では知ってました。
血と生贄を好む先史時代の狩猟神とかとか、俺様の妄想MAXだったのです。
が、諏訪住みのおっちゃんおばちゃんが、普通にミシャグジとか話し、家の裏手のお地蔵さん感覚?でお手入れお参りし「オレが神官なんだよね〜」とかイジるさまを映されると、痛々しいボクの中でオドロオドロしく発酵したイメージは崩れ落ちたのです。
ですが、そんな恐ろしく古い、昭和の表現でゆくと はじめ人間ギャートルズ な時代の信仰が、現代日本の日常に脈々と受け継がれてるって事が、衝撃なのです。
上でも書きましたが、その時代の事物は基本的に遺跡。学問分野は民俗学じゃなく考古学なはずですから。

日常に根付く太古の旧神。
うん、真の驚異は日常にこそあったのね。
これが噂のセンス・オブ・ワンダーかと感心しきりなボクの内側に、まだ別のゾワゾワする何かが残ってる。

監督さんの舞台挨拶の日に観れたので、パンフレット(ガイドブック!)にサインを求める列にならぶと、みんな監督になにやら訴えてる。
皆、なんか内側に在ってゾワってるんだな。
わかるぞ、ボクもだ♪
このゾワゾワが何なのかは、これから詰める訳なんだが、これもやはり映画の力なのでしょう。

PS 鹿の生首、さすがに当代の神事で使われてるのは剥製との事ですが、昔は 鹿さんの生な首 だったとおっしゃったのを聞き、さすが縄文、そして武神タケミナカタ、死も穢れも、ドンと来いだ。と、少し気が遠くなりかけたボクでした。