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DIAMONDS IN THE SANDの作品紹介

DIAMONDS IN THE SANDのあらすじ

離婚して東京で一人暮らしをしているサラリーマンのヨージ。彼のことを心配してくれる母親もついに他界してしまう。意味のある人間関係は殆ど残っていないため、生きる意味がないという現実に彼は直面する。娘を養うために日本で介護士として働くミネルバとの偶然の出会いは、ヨージに自分の状況を新たな視点で見るように促す。そんな中、名前も知らない隣人の老人の腐乱死体が発見され、その死は孤独死と判定される。同じ運命を辿りたくないヨージは、用心深さを捨て、ミネルバを追ってフィリピンの首都マニラに向かうが……。孤独死という日本の現象を探求することから始まった本作は、2013年のタレンツ・トーキョー(当時はタレント・キャンパス・トーキョー)の受賞企画であり、監督兼脚本家のジャヌス・ヴィクトリアにとっては初の長編作品となる。どんな作品でも必ず光る演技を見せるリリー・フランキーがここでも抜群の存在感を発揮しており、ベテラン撮影監督の芦澤明子による、日本とフィリピンの空気感をそれぞれに映し出す映像も魅力的だ。

DIAMONDS IN THE SANDの監督

ジャヌス・ビクトリア

DIAMONDS IN THE SANDの出演者

リリー・フランキー

原題
DIAMONDS IN THE SAND
製作年
2024年
製作国
日本マレーシアフィリピン
上映時間
102分

『DIAMONDS IN THE SAND』に投稿された感想・評価

r
3.9

孤独死というテーマを中心に、日本とフィリピンの生活、人々、カルチャーの在り方のコントラストを自然に浮かび上がらせる手法が秀逸だなと思った。

QAで監督は「本当にフォーカスして描きたかったのは、絶対的に正しいものはないということ。日本ではプライバシーを重視する一方で、フィリピンでは人と人との間の境界がなく(あたたかみに満ちているものの)、道をリビングルーム化してしまっている節もある」と話されていてなるほどなと思いつつも、東京で暮らす自分にとってはやはりあのフィリピンのオープンな寛容さはどこかユートピアめいて見えた。それは恐らく、人がやはり社会的な生き物であって、隣人や路上で偶然出会った人との繋がり、というものには極めて原始的な人間社会の姿をそのままに見出せるからなのだと思う。

ちなみにオンライン英会話のフィリピン人の講師にこの話をシェアしてみたところ、「地方の方が近所付き合いは濃い。都市部ではそういった交流は失われつつある。都市部に住む自分もプライバシーが欲しいと思うタイプなので、介入されると正直煩わしいかな。私は隣に住んでる人の顔も知らない。」と話してくれた。今後もしかしたら地方でも人と人との繋がりは希薄化していくのかもね(日本でも)、と2人で話した。とはいえやはり孤独死というのはフィリピン人の彼女にとっては新鮮な概念のようだった。(英訳でも孤独死はlonely deathと、いまいちしっくりくる単語が存在しない。)

本作の主役を張るリリー・フランキーも素晴らしかった。興味深かったのが、彼が演じるヨージの家の中で1人の時と人目がある外にいる時での振る舞いのちがい。
自分しかいない家の中ではやつれたシャツにパンツと靴下という格好で、コンビニで買ったカツカレーを雑に掻き込む姿はお世辞にも綺麗とは言えない。ところが施設で働くフィリピン人スタッフらに招待されて公園で料理を分け与えてもらう時は、きっちりとしたジャケットを身に纏い両手両足は上品に揃えられ、ゆっくりとした手つきで一口一口少量の食べ物を口元へ運ぶ。その姿には不思議ないじらしさと律儀さが共存している。
恐らく多くの日本人がヨージと同じように、「内」と「外」の境界線を、もはや無意識的にといっていいほどのナチュラルさで、それはそれはクッキリと引いていると思う。この習性は日本社会に脈々と受け継がれるDNA的なものだろう。
これを踏まえ考えた時、ヨージがフィリピンでの生活に馴染むにつれ、彼の境界線の引き方が非常に曖昧になっていくのがまた面白い。ミネルバとああいう関係になっておきながらも彼女に「思いやりがない」と言わせしめる程に彼の独特の人間臭い醜さが露呈するのは、彼が対峙するカルチャーとカルチャーの間で引き裂かれ自分を見失っていく真っ只中にいたからなのだろう。

こう書くと「じゃあやっぱり郷に入っては郷に従えなんて無理だね」とドライになりそうなところを、渋谷サープラス(日本で孤独死した人たちの家財道具を販売する店。フィリピンに実在するという)を使って引き戻すエンドはシンプルながら美しかったように思う。

QAに登場したリリー・フランキーが終始つかみどころが無く(めちゃめちゃ笑った)、けれども熱を込めた言葉を途切れ途切れに伝えてくれて心が動いた。
「コンビニでマスク外して"Happy new year"っていうような、ああいうことで世界は変わっていくと思う」という言葉に心の中で大きく頷いた。(橋口亮輔監督作でとても好きだった「恋人たち」の役所のシーンを思い出しながら…!)
豪
4.6
日本での孤独死という共同体の欠如が生み出す現象に対してフィリピンはみんなファミリーで最高だよ!という映画かと思いきやそうでもない。合理的故に冷酷な面もあるが、寛容的であるがために悪の方向に進んでも強く止めれない一面もある。でも少なくとも人との繋がりがリリーフランキーを変えたのは事実だろうな。正しさと利他が両立しないことを踏まえつつ、常に自分への問いとバランスを見極めていくしかない。
3.5
あの目の覚め方、トラウマになりそうだ…。自分が持っている特権が、日本国籍のパスポートしかないと気づいたとき、ようやくスタートラインに立てるんだと思う。

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