〈愛の過剰。愛の欠乏。決して掴めぬ愛の流れ〉
金熊賞を受賞し、ジョン・カサヴェテス最後の傑作と称される本作『ラヴ・ストリームス』は、痛々しく生々しい大人たちの姿を捉えたカサヴェテスらしい作品だ。自身が製作した舞台劇を翻案している。
カサヴェテスと云えば、粗暴で破壊的で命を削りながら生きる人間たちが見ものだ。それをベン・ギャザラやピーター・フォーク、ジーナ・ローランズら名優(盟友)が躍動感のある演技で担ってきた。表情や身振りが脚本に記載できない単位で気まぐれに変わっていくさまは、例えばロベール・ブレッソンの質素に統御されたモデル演出とは対極にあると云えるかもしれない。
本作では、実の夫婦であるローランズとカサヴェテスが、それぞれ離婚を経た姉弟に扮している。ローランズは「子を愛するが、子に愛されていない」母親、カサヴェテスは「子に愛されているが、子をうまく愛せない」父親という役柄だ。愛が強大だと子は窒息してしまうが、愛が欠乏していると子は流血してしまう。それぞれ愛の構築の難しさに苦しんでおり、慰めあうのだが、その苦しみがある種真逆であるゆえ互いを理解することができないのだ。
確かにそこにある血の繋がりの強固さ。公然とした場で自滅していくローランズ。空元気による健全な家族像の構築。どうしていいかわからない子ども。そして別の愛への逃避...。『こわれゆく女』『グロリア』と符合する要素をふんだんに詰め込み、それを例に漏れず丁寧な説明を拝したぶっきらぼうな語り口で紡いでいく。
最後、カサヴェテスは雨に濡れる窓越しにこちらへと帽子を振ってみせる。それはカサヴェテスが生涯挑んできた愛という難題への諦観であり、我々に向けた別れの仕草であった。