優しいアロエ

狩人の夜の優しいアロエのレビュー・感想・評価

狩人の夜(1955年製作の映画)
4.3
〈紛い物を見抜けない牧歌的村落。そして厳格な信仰の勝利へ〉

 『恐怖の岬』『ドゥ・ザ・ライト・シング』に影響を与えた1955年のカルト映画。ロバート・ミッチャムの圧倒的存在感を期待させながら、ドイツ表現主義的なホラーやスラップスティックコメディの色味を帯びており、また若干の粗さがクセになる異色作である。

 舞台は1930年代、ウェストバージニア州。偽預言者ハリーが大金目当てに牧歌的な村へとやってくる。しかし、誰も彼の正体には気づかない。本当は大した計画性もなく、子どもを前に滑稽な姿を晒すハリボテの男なのに、住民は彼の放つ謎の御言葉や唱歌におおいに騙されてしまう。ここにキリスト教社会を漫然と生きるアメリカ田舎民たちの弱さや偽善性を覗くことができる。ハリーに従順になろうとする未亡人もまた、その男性君主的な価値観に染まってしまっている。本作が公開当時大コケしたのは、古典に回帰した作風が受けなかったり同年代の華やかな傑作の影に隠れたことが原因とされているようだが、実はこうしたアメリカ社会への批判性に観客が拒絶反応を示したこともあったのではないか。

 ただ、そんな民衆に対し、少年ジョンや終盤登場する孤児院の婦長はハリーの正体を見抜く。カメオ出演に近いリリアン・ギッシュの起用にしろ影絵のような幻想的な映像表現にしろ、本作にはドイツ表現主義への崇敬の意が感じられ、特に馬に乗ったハリーのシルエットにはホラー映画のような力強さがあり目を奪われる。しかしその一方、ハリーは幼き兄妹を追いかける過程で、頭に柱を落とされたり泥に足を取られたりと、やや『ホーム・アローン』にも近い滑稽さを露呈する。ここで彼が滑稽であればあるほど、彼の正体を見抜けなかった民衆たちの愚かしさを同時に痛感することになるだろう。

 面白いのは、ハリーが逮捕される姿に父親の残像を見たジョンが彼を許すところで、冒頭の「人を裁くな」という婦長の言葉もここでようやく回収される。一方、ハリーに出し抜かれていたことに気づいた民衆はジョンの数億倍怒りをあらわにする。最後まで皮肉が込められた作品に思えてならない。

 インチキ伝道師の正体を見抜けず、一方ではこの傑作を駄作と見間違えた大衆の愚かさよ。本作は当時大コケしたことによって、返って物語の指摘性を強固なものにしたと云えなくもないのかもしれない。(物語で扱われる「地方民」と興収を左右する「都会民」を等しくアメリカ人と括るのはおかしいので流石に暴論か)
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