優しいアロエ

海辺の映画館―キネマの玉手箱の優しいアロエのレビュー・感想・評価

3.8
〈大仰な虚構の世界に託されたラストメッセージ〉

 作り手の存在を想定せず一本の映画を見つめるというのは改めて難しい。本作もまた「これは大巨匠の遺作なのだ」という免れ得ない意識が、その破戒的コラージュのすべてを許す。

 たしかに合成映像や戯画的な編集はチープで不恰好だし、台詞はかなりクドい。反復されるメタ演出にも辟易としてくる。だが、そうした過剰性が「虚構に浸っているのだ」という実感を強引に呼び覚ます。映画という虚構のもつ逞しさ、そして虚構に触れる歓びというものを痛感させる。コード回避の意図を匂わせるモザイクヌードだけはさすがに勘弁願いたかったが、それを除けば大仰な演出には概ね許容がいった。これは「嘘から出たまこと」の力を信じた者のギラギラとした虚構賛歌なのだ。

 物語は序盤、尾道の人々が俄雨から逃れるようにして、閉館を迎える小劇場“瀬戸内キネマ”へとなだれ込む。そして座席周縁の通路にまで目一杯座り込み、「戦争映画大特集」のオールナイト上映に向けてワイワイとしている。映画館は現実からの避難先であり、老若男女が一体となって同一の体験をする旅客船だったのだ。一席ごとに確保された“現実”に挟まれ、どこか一体感や活気のいうものを失った劇場に通う今日、我々が忘れていた劇場本来の役割を思い出す。

 そして、雷鳴とともに少女が銀幕の向こう側へと呑みこまれる。3人の青年がその後を追い、戦争史と映画史の交錯した世界で『千年女優』『パプリカ』的ロール・プレイング・トリップを繰り広げる。若年層への配慮だろうか、大林は丁寧すぎるほどの解説を交えながら戦争の痛みや陰惨な事実をキッチュな世界に刻印していく。

 戦争は尊い煌きを一瞬にして奪い去った。あの少女は『ワンハリ』におけるシャロン・テートのごとく一時代の心臓として宿っている。虚構は歴史を変えられないが、歴史の辿る先を変えることはできるのだと大林は遺す。過去へのノスタルジーと未来へのメッセージを兼ね備えた壮大な作品だった。
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