優しいアロエ

砂の女の優しいアロエのレビュー・感想・評価

砂の女(1964年製作の映画)
4.6
〈60年代日本の片隅で、不条理な世界が顔を覗かせた〉

 安部公房の原作が1962年、この映像化が64年。当時の日本は高度経済成長期の真っ只中にあった。ある教師の男は、そんな東京の喧騒から逃れるようにして昆虫採集に赴いたが、何とも奇妙な世界へと引き摺りこまれてしまう。

 そんな本作の主な舞台となるのが、ある砂丘における小さな陥没地帯である。 2時間半ものあいだ、その無味乾燥とした景観にはほとんど変化が訪れない。しかしながら、まるで世界の裏側へと迷い込んでしまったかのような緊迫感と悍ましさがこちらを唆りつづける。世界をある一点に凝縮し、虫籠に閉じ込めたかのようにニンゲンを観察する趣向は『羅生門』に近い。

 あの10mほどの物理的落差は、もがけばもがくほど足場が崩れ、脱出を許さない様相からアリ地獄の比喩にもなっているが、役割はそれだけに留まらない。ある貧しい部落が内部に孕んでいた差別構造をも視覚的に示しているだろう。下層に棲息していたあの未亡人は、男を引きずりこんだことから上層の男たちとは共謀関係にあるのだが、その一方、「男にだけ配給が行く」というセリフや性的搾取を強いられる終盤の展開などから、ミソジニックな部落内差別の対象にもなっている。しかし何とも気持ち悪いことに、女はその不当な関係に対して懐疑心を捨て、とうに慣れてしまっている。「住めば都」という皮肉は主人公にだけでなく、この女の状況にも当てはまっている。むしろこの差別的関係のおかげで部落の一員としての位置を確保している側面すらある。女の吐くこんな言葉が印象的だ。

「砂がなくなっちゃあ、誰も私のことなんか構っちゃくれないのさ」

 一方、主人公もまた、人間のなんとも不可思議な本質を披露してくれる。初めは穴からの脱出に明け暮れていたが、岸田今日子のキモいがほっとけない雰囲気もあって彼女に気を許しはじめる。ふたりの頬や額にこびりついた砂つぶが極端なアップショットで捉えられ、主人公が女と同様に砂の世界に侵食されつつあることが暗示される。また、官能的な瞬間に陥るところも見事である。本作は、理屈では語れない感覚的な美しさや薄気味悪さも誇っている。
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