優しいアロエ

ミークス・カットオフの優しいアロエのレビュー・感想・評価

ミークス・カットオフ(2010年製作の映画)
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“Water or bloods.”

 現代から一転、19世紀半ばのオレゴンに遡上したケリー・ライヒャルト長編第4作は、訛りのキツい英弱泣かせの西部劇。『The Lighthouse』の悪夢が蘇るところだが、こうした訛り映画に限って秀作の感じがするからツライ。
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 さて本作は、男性中心に構築されてきたアメリカ西部開拓史を、女性の目線から見つめ直した作品である。同じく貴重な女性視点が設けられた西部劇としてセルジオ・レオーネ『ウエスタン』を思い出したが、あちらは芸術映画・娯楽映画としては天下一品であるものの、紅一点であるクラウディア・カルディナーレは亡き夫の鉄道敷設業を逞しく継承していく点で少々ファンタジックなキャラクターであることが否めなかった。その点、本作は現実的に男女の境界を提示してみせる。

 常に一行の前方に男がかたまり、女は後ろから付いていくという構図が象徴的だ。進路を決めるのは常に男。薪を拾うのは常に女。茫漠とした荒野に残酷に囲まれている点こそ平等ではあるが、そこには性別による役割の差が生まれている。「あの男たちは女性蔑視的だ」とまで指摘できるわけではないと思うが、少なくともこの西部開拓の歴史が男性特有の野心や強靭性、好戦性に紐づいていたことは見てとれる。

 そして道中、ネイティブアメリカンの男を捕らえるに至る。ここから当時慣れない世界へと足を踏み入れた白人たちがいかに原住民に対して漠然とした恐怖を抱いていたかが分かってくるのだが、同時にこの男の処分についても性別によって緩やかな差異が生じている。女性と原住民のある種の連帯感のようなものが、ジェニファー・ケント『ナイチンゲール』を彷彿とさせる。そしてそれを『レザボア・ドッグス』のような銃口による睨みあいで魅せるのがおもしろい。

 野心と肉体労働を必要とする開拓運動は、自ずと男性たちを中心に進められてきた。無論、原住民の排斥も同時にだ。その結果発展してきた近代文明がそうしたフロンティア精神を原動力としていたのも当然だったのだろう。しかし今こそそれを見つめ直すときなのかもしれない。新型コロナウイルスの脅威に晒されている今日、各国の対応と感染状況の違いがよくニュースで取り沙汰される。そこにリーダーの性別に伴う緩やかな差異が生まれていることを見落とすわけにもいかないだろう。
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