優しいアロエ

赤い殺意の優しいアロエのレビュー・感想・評価

赤い殺意(1964年製作の映画)
4.5
〈素っ頓狂なる喜劇の合図〉

 キ、キモい...。コールタールを引っ掛けたような重たい映像感覚のもと、ねっとりとした不愉快な人間ドラマが展開される。しかし、ふいに『ウエスタン』顔負けの場違い感あるひょうきんな劇伴が流れだす。それは本作が喜劇であることの合図だった。

 本作の舞台となるのは、戦後の東北地方は仙台の田舎町。そこには宗家/分家に分かれた封建的な家族制度が残存しており、妾の子孫(つまり分家)である主人公:貞子は、愚鈍な性格も相まって酷遇を受けている。夫と5才程の息子がいるものの正式な籍を入れることを許されず、女中に近い立場に置かれている。

 本作はそんな野暮ったい女が、“ある侵略”を受けることで、かえって身体の深奥から解き放たれ、強靭な人間へと成長する物語として見解が固まっている。蚕を太ももに這わせる少女時代のシーンは、そんな彼女が潜在的に持っていた面妖さを象徴しているだろう。

 だが、畢竟そこまでの変貌を彼女から読み取るのは難しいかもしれない。むしろ、執拗で傲慢な男たちに終始翻弄される姿に苛立たしいばかりである。本作品における「悪」は紛れもなく男たちであるはずなのに、なぜか私の不満の標的は貞子に向かってしまった。ここにはなにかミソジニックな性質を自らの内側に感じ、ゾッとした。私もこの男たちとさして変わりない気すらした。

 しかし冒頭述べたとおり、本作にはどうも喜劇的なところがある。今村は本作含め自らの作品のいくつかを「重喜劇」と定義しているが、なかなか的を射ている。貞子の動物のような受動性や周囲の人間の醜悪な動向に可笑しみを見出しているのである。責めるでもなく、庇うでもなく。アイロンの裏側にようやく映りこむような人間の本質を観察するかのように。
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