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父 パードレ・パドローネのstanleyk2001のレビュー・感想・評価

父 パードレ・パドローネ(1977年製作の映画)
4.0
『父 パードレ・パドローネ』(Padre Padrone)
「父、支配者」
1977
イタリア

教育を奪われた少年が父を乗り越えて言語学者になるまでの信じられない実話。

「小学校の卒業は大人になってからで良い。他の子供達を飢え死にさせても良いのか?息子はわしのものだ。働かせるしかない。義務教育がなんだ。教育より貧乏の方がよっぽど切実だ」

「俺は島を出る。ドイツに移住するんだ」
「どうせ下働きさ」
「でも向こうでは名前で呼ばれる。このでは名前がない。お前のことは『ぺぺさんの使用人』だ」
「だから移住するのか?」
「お前だって名前でなんて呼ばれないだろ?」
「僕は違う。父親が主人だから名前で呼ばれる」

イタリアの言語学者ガヴィーノ・レッダの自伝を元にした映画。

レッダは1938年(昭和13年)にイタリア半島の西側の島サルディーニャ島で生まれた。

サルディーニャは独自の言語を持つ。イタリア語の方言ではない。イタリア語と同じくラテン語から独自の発展を遂げたサルディーニャ語(Sardu)はロマンス語の一つ。

映画は、原作者ガヴィーノ・レッダ本人が一本の木の枝から小枝を払い一本の杖にするところを映し出す。レッダは一人の男に杖を渡す。「父はいつも杖を持っていた」と言う。

そこから映画の舞台設定であるレッダの子供時代が始まる。なかなか洒落た始まり方。

ガビーノ・レッダの父親はガビーノが通う小学校に乗り込み兄弟たちを食べさせるため長男のガビーノを学校に通うのをやめさせ家の仕事、酪農の仕事を手伝わせると言う。

レッダが小学校から引き離されたのは1940年代。映画はガビーノが20歳すぎまでを描くから1940年代半ばから1960年ごろ迄を描いている。

イタリア本土ではない島とはいえサルディーニャ島は小島ではない。戦後のイタリアでこんな暴虐をする父親がいたとは。

いまなら「毒親」「DV」「ネグレクト」と名前がつく。学校に行かせない。反抗すると殴る、食事を抜く。

「父、そして支配者」という原題の重さに胸が締め付けられる思いだ。

19世紀イングランドのディケンズの小説で描かれるような虐待の様子は呆れ果てるほどの酷さだ。

カビーノは20歳になったが文字が読めない。羊が逃げないように見張り、乳を絞る。彼の暮らしなそれだけだけだ。

ある日、ヨハン・シュトラウスの『歌劇こうもり・序曲』が聞こえる。実際は旅芸人の弾くアコーディオンだが映画の中ではオーケストラの演奏で牧場に響き渡る。

心を掴まれたガビーノは旅芸人達と交渉して子羊二頭と壊れたアコーディオンを交換する。

子羊二頭がいなくなった事を父親に説明するためにガビーノはナイフで自分の口を傷つける。「泥棒に羊を盗まれた。抵抗したらナイフで切りつけられた」父は一応は信用する。

父親の仕事はうまく行かなくなる。ヨーロッパ共同体が酪農品の買取価格を決めたせいで今まで通りの売値では買ってもらえなくなったのだ。

父親は土地と牧場を売り払う。娘には街に出て働けと言いガビーノには長男としての誇り高い役目を与えると言って軍隊に送り込む。

軍隊でも文字が読めない事を隠して苦闘するガビーノ。彼が文盲だと知って読み書きを教えてくれる同僚。ガビーノの世界が広がる。文明や文化とつながったのだ。

「いつも助けてくれるのは他人だった。父さんは俺を踏みつけるだけだ」

ガビーノは父を言葉と力でねじ伏せて大学へ進む。

信じがたい人権侵害を受けながら言語学者になったガビーノ・レッダ。今は大学教授から引退して農業をしているという。「学問を得て都会で華やかに暮らして地方を蔑むのでは父親と同じだ」

教育を武器にして誰かを踏みつけるのは形を変えた暴力という事なのかな。

映画は冒頭の学校の場面に戻る。今度は教室の外から見た光景だ。

深く傷つけられながら成長して父を乗り越える。力を得ても世界へ復讐しようとはしない。

彼の原点は世界から引き離されたあの小学校。あの日の痛みと恐怖なのだ。
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