例えば、バスの中でお土産を落としてしまうこと。泳ぎに夢中で海に帽子を落としてしまうこと。或いは、達磨を階段から転げ落としてしまうこと。何かが落ちる度に観る者をドキリとさせるこの映画は、最早「落下の映画」と呼んでもいいのかもしれない。何処まで本気なのかも分からないこの不思議な連鎖は、不意に現れ、そして画面を豊かにしては去っていく。物が落ちることによって不幸は招かれず、寧ろ何とも言えない幸福感を(香水の匂いと共に!)残してしまうのはどうしてだろう。物憂げに歩いていく芦川いづみの後ろ姿を捉えたショットが中盤で用意されているとはいえ、観ている間中、何故だかずっと楽しかった。
「スタンダールの『赤と黒』なんてお読みになるかしら」と書かれた置き手紙と盗まれたラブレター。二階のベランダでサングラスを掛けながら回るレコードに合わせてダンスを踊る中原早苗(汗をたっぷりと吸った服がまさに夏!な感じ)。海辺を走る二人乗りの自転車に、波止場を駆ける男と女。……書いていて恥ずかしくなるくらいの夏の連続に、少し眩暈がしそうになった。全くもう斎藤武市って人は……と、思っていると、終盤のとある切実なシーンで、驚くほど肌理の細かい仕事をしていることに気が付く(ややブレッソン)。ああ、あの「落下」もここに結び付けるためか、なんて思ってしまいたくなるくらいにお見事だったと言いたいです。「好きな人の好きな人」ポジションになることができない、中原早苗を演出する方法としてはピカイチだったよ(対する芦川いづみは放っておいても最高だから)。ヒロインじゃない女の子に向ける眼差しが優しい監督は好きになれる。最後の最後に「さようなら」と叫ぶ権利がないからこそ、後ろに回って彼の背中を押す姿が悲しくて美しいんじゃないかなぁと思ったり。