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砂の女のHKのレビュー・感想・評価

砂の女(1964年製作の映画)
4.3
阿部公房原作の小説を、『他人の顔』など彼の作品を多く映画化した勅使河原宏が映画化。カンヌ国際映画祭特別賞受賞作品。キャストは岡田英次、岸田今日子、三井弘次などなど

休暇を利用して砂丘が多いとある部落に昆虫採集をしに行ったとある会社員が、部落の住人に勧められ砂の中にある民家に一日だけ宿泊する。しかし、次の日になると、砂の穴に通じる縄梯子が撤去されていた。彼は村の住人に嵌められ砂の中の家に閉じ込められてしまった。果たしてどうなるのか…

阿部公房原作の傑作小説の”完璧な”映画化として名高いこの作品を初めて視聴して見ました。舞台となる砂丘のセット作り、世界観の造形が天下一品ともいえるほど素晴らしい。

原作小説を読んでみたくなるほどに、この世界観は幻想的である。英題がWOMAN IN THE SANDS じゃなくてWOMAN IN THE "DUNES"なのね。砂丘と言う意味ですが、後年製作される予定であったホドロフスキーのDUNES砂の惑星もこういう世界観で造るつもりだったのでしょうかね。

もう、セットによる絵作りが完全に異世界のような雰囲気を醸し出して完璧なのですよ。モノクロにしているため、砂丘の白が余計にこの世の物とは思えない美しさを要しています。男が砂を掻き分けようとすると、雪崩のように崩れ去るあの光景が美しいのですよね。

それでいて、人物の撮り方もこの映画はしっかりと趣向をきたしていますね。何よりも砂の一粒一粒が体に張り付いている様子などを嘗め回すようにクローズアップで撮っているために、この粒子一つ一つがアクセサリーのように見える美しさを放つのですね。砂をこんなに美しく撮る映画て恐らくないと思いますよ。

それでいて、映画のストーリーラインも、しっかりと現代を皮肉るようなものでいて素晴らしい。主人公の男がはじめは何とかして脱出しようと人質やらロープづくりなどで色々と画策するのですが、段々と民宿の女と生活していくうちにこの生活に順応していってついには逃げる気すら失せてしまう。

毛細管現象で自然に水を汲める仕組みを覚えてしまってからは、積極的に脱出しようとした前半とは違い、『この知識をひけらかすためにもうちょっと生活していくか』と段々と自分に言い訳をしたあげくに、最終的には…あの報告書やら失踪届のようなもののアップからのとうとうな幕切れも素晴らしいと思いましたね。

もしかしたら、あの民家の女の人も、はじめは嫌がってても段々と順応していってしまっていつしかそこから出ていくのすら怖くなってしまうほどになってしまったのかもしれない。

『生きるために砂を掻くのか、それとも砂を掻くために生きているのか』という台詞がこの映画のテーマ性を描いているのだろう。なぜ、我々は訳の分からない習慣を今になってもしているのか、目的なのか手段なのかその判断が段々と曖昧になっていく過程を皮肉っているのかもしれませんね。

あまり自分は読書家じゃないので、原作小説も読んでいないのですが、この映画を見て阿部公房原作の小説も読んでみたくなりましたよ。いずれにしてもあの幻想的な砂の流動を見れるだけでも、映像的な美しさとか神秘性を見たい人はこの映画とても楽しめると思いますね。

人間というものは、どれだけ嫌なことでもそういう環境に置かれるといつしか拒絶も自然としなくなり、順応し、人間らしさも失い、いつしかただの機械のようになっていく。そんな人間の本質的な腐敗の様相を皮肉っているのかもしれませんね。

個人的には、途中途中で流れる武満徹さんによるミニマムな音楽も素晴らしいと思いましたね。あの静謐な音楽だからこそ、独特な世界観にさらに素晴らしいテイストが加わったのかもしれませんね。

個人的には、映画内に出てくる恐らくミニチュアの物もあるだろう、昆虫などの微細なセットなども、特撮要素として素晴らしいと思いましたね。所々入る蟹が通り過ぎる様子なども、浜辺近辺で当たり前なのにどこか宇宙の果ての星にいるかのような幻想的世界観を造形する見事な諸要素になっていたのだと思いますね。

いずれにしても個人的には見れて良かったと思います。もうこれほどの原作再現が出来る映画て今後作られることはなさそうですね。
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