恥と外聞

パーフェクトブルーの恥と外聞のレビュー・感想・評価

パーフェクトブルー(1998年製作の映画)
3.5
映像の質感はOVAのような恣意的なメリハリ(主役と対峙する悪役はあからさまに醜く、もしくはアンバランスに描かれるが表現上のクオリティが低いわけでは全くない)、そして明度や音量に関係なくとにかく陰鬱、、だが脚本や場面転換などはやり過ぎなほどどストレートに日本的エンターテインメント。
やはり自分も日本人だからか、尺の短さに比して物足りなさを覚えることはない。

精神病理や業界の不健全さについての認識は25年を経ても一般大衆レベルではほとんど改善されてはおらず、デジタルディバイドもPCからスマホに場を移しただけで相変わらず、という嘆きはある。
そしてヲタクという人種だけは独自の再生産構造の導入に成功して資本主義社会の中で大出世を遂げたわけだが…。

「Anime News Networkのティム・ヘンダーソンは本作を『強迫観念的なまでに初期のインターネット文化に集中したエフェクト』を持つ、『ダークで洗練されたサイコスリラー』と評し、タレントのファン層がたった10年でいかに進化したのかを思い知らされたと述べている[32]。」

Wikipediaにおけるこの記述が的確に本質を言い当てていると思う。

時代は世紀末。
ネットユーザーはまだ少数派だったかもしれないが、中には確実に時代の変わり目にいることを自覚していた人もいたことだろう。

映画自体もそうだが、時代もまたカオスで理解不能な現在地(に立つ自分達自身)を大いに楽しんでいたのかも知れない。
数年前にバブルが崩壊したからといっても、少なくとも天下国家の着実な没落を見せつけられている現在の“混沌”とはワケが違う。

エロとグロのバランスは昔望月峯太郎の漫画を読んだ時の気持ちが呼び起こされる。
外国人からしてみれば日本という国、文化が朽ち始めた時期の最後の輝きが大いにウケるのだろうか。

作家のクリエイティビティと技術の奇跡的なマッチングによって、ここからたった8年で『パプリカ』のあの映像体験に至るまで長足の進歩を遂げた理由、あるいは“その予言”がまさにこの映画そのものに確と刻印されているようで面白い。