恥と外聞

オッペンハイマーの恥と外聞のレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.0
もし君が本当に平和を希求し暴力や戦争を肯定しない文明人としてこの先も誇りを持って暮らしていきたいのであれば、膀胱の容量がもつ限り是非ともこの映画を観るべきだと思う。

万が一君がコーヒーを飲みながら映画を鑑賞する趣味を持っているのであれば話は別だが、そうでなければこの映画から目を背けて明日からものうのうとその限りある生命を費消していくということ、それは罪深い不作為であるとさえ評価してもいい。

我々が現時点で未だ乗り越えられていない普遍的な課題というものはいくつもある。
例えば不死性について。
僕の知る限りなぜ生命に限りがあるかという点について、示唆的にでも解を提示した芸術作品は未だ俗世に存在してはいない。
あるいは戦争の愚かさについて理解していながら永年手放すことができない人類という生き物の不思議さについて。

今時クリストファー・ノーランという男が聖書をも上書きするような人類史上の倫理的大発明を成したとまでは思っていない。
彼が争いの無いエデンの園の造り方を示してみせたのであればそれにも値しようが、ただ、「人類が偶然にして手にしてしまったプロメテウスの火を何故手放すことができず、それがどのようにして今日の世界を形作る屋台骨にまで組み込まれてしまっているのか」を紐解いてみせるところまでは登り詰めたのではないか、とまでは言ってしまってよいだろうとも感じている。

確かに懇切丁寧な説明書きが同梱されているタイプのパッケージングではなかった。
また原爆が落ちたらそこに住まう人が、街が、何がどう傷付けられ、葬られていくのかまでは詳しく語られることはなかった。

しかし、はっきり言ってその辺りの不満を無知蒙昧なアメリカ人が述べるなら理解もできるが、(原爆という点においては)被害を受けた側の我々日本人が非難すべき理由は毛頭無い。
それこそ今更事細かに説明してもらった方が映画としては中弛みを感じる要因になるだろうし、そんなことはこの国で成長する間に何度でも学ぶ機会はあっただろうし、まず外国人にそれを教えてもらおうとすること自体に疑問を覚えるということもある。

寧ろ、ノーランはそうした歴史的事実・背景を並み以上に学び、理解している鑑賞者を信じたうえで、敢えてオッペンハイマー≒20世紀の大きな過ちを犯した近代人類の苦悩を表現することにリソースを集中投資しているように見える。

名だたる物理学者のオールスター、『スマッシュブラザーズE=mc2』とでもいうべきニッチなタイトルで楽しみたい気持ちにも少しは配慮されている気もしなくもないけど、序盤で早回しされるオッピーの目まぐるしい前半生からはそこ正直そうでもないな…というところ。
それと、「揺れたい…」=即騎乗位になってしまったのは勢い余りすぎて唯一の謎。
他のどんな難解な台詞よりも謎スピード展開。
このご時世にフローレンス・ピューをそんなインスタントに使い倒して許されるのはアンタだけだと思うよ。
あんまり急に得意じゃないことしない方がええ。。

一生を懸けて築いてきた智慧と人脈を駆使してやっとの思いでプロメテウスの火を手にした。
完成と同時に苛まれた罪悪感は、あるいは現代でこその演出であって実際には戦後暫く経ってのものであったと解する方が自然かも知れない。

いずれにせよ彼の人生は矛盾だらけだ。
思想には共鳴しても組織には与しない、ある意味曖昧で不誠実ともとられる政治的態度。
妻と愛人とを両立させようとするのも現代の価値観では人倫に悖る行いだし、画面上でハッキリと糾弾される通り、原爆の父となったにも関わらず、さほど時を経ないうちに水爆開発を躊躇する側に回ったのは、当時ハタから見れば一貫性の無い仕事ぶりだと評価されたことだろう。

されどテラーが見た通りを指摘する複雑で理解不能な感情の動きというものは、実際誰しもが少なからず心の内に秘めているものであろう。
人間は弱い。
どれほどの偉業を成し遂げようとも。
彼は一時、「世界一の有名人」になったのは事実かも知れない。
トルーマンは自分が全責任を負っているように嘯いてみせたが、あれはある種の妬み嫉みの類いでもあったのではないか。
(ゲイリー・オールドマンは既にチャーチルも演じてるから、スターリン役もやればこれで一人ポツダム会談ができるってワケね)

ただ、結局のところどれだけ自分を守ろうと、家族を守ろうと、人としての道徳を守ろうと足掻いたとしても、RDJ扮する小汚い政治屋のような存在の前には「人間誰しも起こす間違い」を正当化することも能わず、聖域たる学界すら社会との隔絶を確保することもできず、唯々人類という生き物の愚かさだけが受け継がれていくような絶望感で物語は幕を閉じる。

…もしかしたらJFKの名前を聞いたアメリカ人は、スターウォーズよろしく新たなる希望を胸に抱く感傷シーンともなったかも知れないが、いわんやその彼をや、である。

ちなみに2周3周して理解を深めるというスタイルは不向きだと自覚しているので、今回珍しく予習をしたが邪道だっただろうか。

人物の顔と役回り程度は頭に入れてから観るべき、とまでは言わないにせよ、初見で斬られて2度目にはどうにか、と思うくらいならコレはコレで良い気もする。
オススメとまではいかなくとも、外国語映画としての鑑賞を避けられないここでの一つの提案として。