あきらむ

パーフェクトブルーのあきらむのレビュー・感想・評価

パーフェクトブルー(1998年製作の映画)
4.3
期間限定で劇場公開中なので行ってきました。今敏作品は全部DVDかサブスクで自宅鑑賞しかしていなかったので、劇場で一度見たかった。今敏の新作はもう一生出ないので、悲しい。宮崎駿くらい生きて今の時代を映画に反映させてほしかったと改めて思う。宮崎が過去の社会、押尾が未来社会を舞台にしがちなのに比べて、今敏は面と向かって現代社会を舞台に描く気骨のある作品が多いので、今の社会をどう描くのか一番気になるのだ、ほんとなんで死んじゃったの。そういえば、パーフェクトブルーの時はまだ平沢進の音楽を使ってないのだけど、後年の作品では使うようになって、やはり相性が良かった。それで、何で死んじゃったのシリーズ、故三浦健太郎氏のことも思い出してしまった。仕方がない、人は死ぬのだし、しかし、本人が死んでも、こうして作品も、観る人も残っているのは凄いことだ。人は死ぬけど創造物は死なないんだよなと当たり前なことをしんみり思った。

平日ほぼ満席で一度鑑賞済の人が観に来るもんかと思っていたら、初見で来ていた人も多かったらしい。大学生くらいの人も多かったし、終劇後の会話の周囲の会話から推測。

これは98年の作品で、インターネットが普及し始めた頃で、黎明期とも言える。電脳空間の雰囲気はSerial experiments lainにも似ていて、今観るとレトロなインターネットを感じられて、雰囲気はいい。だからといって今観ても、時代遅れな感はない。

舞台が97年というだけで、テーマは、生の人間とインターネットの中の人格や精神病理やストーカー殺人を扱っているので、今にも通ずるテーマだし、これからもテーマになり得る。とはいえアイドルである主人公が最初あまりにインターネットに無知すぎるのは時代を流石に感じざるを得なかった。

学生の時初めて見た時、あー!スゲーもん見た、アニメでこういうことできるんだ!と感動した覚えがある。というか、アニメだからこそできる表現なのに、リアリティが全く薄れてないところが凄いのだ。ジブリだったら世界観から完全にフィクションですという視点で入っていくのだけど、この作品は、世界観は完全に現実世界を起点としていて、馴染みのある風景や人々、あーこういうやついるいる!ってのがよく出てくる。会話とかも何となくリアル。その内に、やはり「リアル」な幻想世界や暴力と絡み合って、現実と幻想を行ったり来たりして、話は不穏になっていき、ドキドキする。同監督の千年女優も、現実と非現実を行ったり来たりしながら話が進み、この感じがなんとも気持ちがいい。

我々も生活している中で、現実を生きていながら、自分の空想世界を持っていて、そこを無意識に行ったり来たりしている、が、無意識だからこそ、違和感を覚えない。その部分を強調して映画作品として描かれると、わかると思いながら、不思議な違和感と心地よさ、恐怖を覚える。
特にパーフェクトブルーは暴力シーンが多く、アイドルと暴力という組み合わせが、幻想と現実とも対比されていて、より没入感がある。幻想と暴力の相性はとても良い。

人は突然に発狂するわけでは無い。知らぬ間に無意識の中で熟成されて発狂に至る。何事を成すにも、一日で為されることは無い。殺人もそう。それが起きるまでの、長い過程、そのたった一日、一瞬までは、普通の人だったわけで。