tjZero

2001年宇宙の旅 新世紀特別版のtjZeroのレビュー・感想・評価

4.7
何回も観直すたびに、新たな発見や解釈が浮かんでくる作品ですねえ。
今回は、【A】本作単体、と、【B】スタンリー・キューブリック作全般、について、新たに思いついたことを書いてみます。


【A】『2001年宇宙の旅』について
ニンゲンの一生、を描いた映画かなあ、と思いました。

オープニングの類人猿のパートは、我々の子ども時代です。
本能のままに、ワチャワチャと暴れ回っている。

序盤からクライマックスまでの、本作の大部分、宇宙飛行士ボーマンの活動を描くパートは、人間でいえば青年から中年・壮年までの時代です。
学問をベースに好奇心を発揮し、探求を進め、トラブルを解決していく。

終幕、しわくちゃのボーマンはもちろん、我々が老いた姿。
そして問題の、光が流れて明滅するトリップ映像は、ヒトが生から死へと移りゆく旅路なのではないでしょうか。
老いた肉体を脱ぎ捨て、ピュアな魂のスターチャイルドとなって、あの世へと旅立っていく。
そう思うと、死へと向かう人生も空しくは無く、ワクワクする旅行のように見えてきたりも、します。


【B】キューブリック作全般について
シンメトリー(左右対称)の画面が印象的ですねえ。

そうでない絵面(えづら)でも、まるで定規で製図の直線を引いて構成したような、端整な画面が目立ちます。

我々が普段見ている風景はもっと歪んでますから、キューブリック作内の世界は”不自然に整って”見える。

だから、違和感とか不穏な感じが観ていて浮かんでくる。
「この整い過ぎた世界をぶち壊すような、何か禍々しい事態が起こるにちがいない」という予感を持って、観客は作品に対峙します。

その予感が的中するかのように、キューブリック作のキャラクターたちは、『博士の異常な愛情』の軍人も、『時計じかけのオレンジ』の不良少年たちも、『バリー・リンドン』のエセ貴族も、『シャイニング』の作家も、『フルメタル・ジャケット』の新兵も、みんな狂ってしまう。

不自然に端整なキューブリック世界内ですから、常軌を逸してしまうキャラの方がむしろ自然に、人間らしく、映ります。

本作の場合特に、その狂う=最も人間らしいのが、AIのHALである、というのが皮肉だし、興味深いポイントです。

そこで観客は、人間らしさって何だろう?、って無意識的にでせよ、考えざるを得ません。
そうなると、【A】の人生絵巻と響き合って、本作の深遠さがより増していくのでしょう。


【C】まとめ
これからも、新たな発見を求めて、本作を観直す旅を何回もくり返すことになるはずです。

そして今後は、それこそ2001年産まれの方々が本作に初めてコンタクトしたフレッシュなレビューも、フィルマに続々と登場してくるかもしれません。

そうした出会いもまた、楽しみに待ちたいと思っています。
tjZero

tjZero