otomisan

第8監房のotomisanのレビュー・感想・評価

第8監房(1956年製作の映画)
3.7
 戦争を引き摺る男女の出逢いで始まって、警視庁物語所轄篇で終わるといった趣だ。つまり、先の男女の物語は男が戦争の記憶を清算する中で女の死と共に潰えてしまうのだが、その男が物語のクライマックス、決闘篇でひょんなことに捨て子を拾って交番に届けるという挿話を発端にやがてその赤子ネタが物語全体を攫ってゆくという格好となって、その模様が警視庁物語なのである。

 なんのこっちゃと思ったらご覧あれ。ただ、この物語の軸足が戦争を清算した男から'56年生まれの赤子の側に切替わる事に、その年の経済白書が「戦後は終わった」と告げた事が絡まって来るのだ。
 これは復興への力がそれが叶う事で弱まるに連れ、社会も経済も発展には新しい原動力や目標が求められると告げているわけだが、恐らく世間は焼け跡をバラックで埋めた戦後が終わり、これからはバラックを本式に建て直す時代になるんだと読み取っただろう。
 それらの事への連想で、女を喪うことで戦後を新たに引き摺る事になった男を後景に遠退け、いっとき捨てられた子は母親の改悛で元に戻り、赤子と母は女手一つでも暮らせる世の中を叶える時代の象徴として掉尾を飾る事になるのだ。これを見逃さないで欲しい。

 そうした事が正義漢と盛り場を仕切るギャングの絡み、ひとりの女を巡る男たちの衝突による事件ものの体裁のこの映画には織り込まれている。原作者の柴田錬三郎なら物語の節目での三橋の芝居をキリっと締めさせるだろうが阿部だから仕方ない。昔の軍人は情に強いぐらいなつもりで受け流せばいいだろう。文句が出るのは筋のいい証拠と割り切った。
otomisan

otomisan