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美しい星のotomisanのレビュー・感想・評価

美しい星(2017年製作の映画)
3.9
 フランキーおじさんの敬天ポーズに三島由紀夫も冥土で笑うだろう。ついでに未だUFOの正体が解明されず、核戦争も起きずな21世紀に何を思うかな?
 小説を出した頃は朝鮮での使用が却下され(知られてなかったか?)、キューバ危機も脱して、三度目の正直はどこだろう?なんて思ったかそれとも、なるほど、核とはかくも使えないものなのかと思ったか。
 旧連合国内に行き渡った核爆弾で三竦みとなる世界の多極化が軍事バランスだか何だかで安全の鍵とも思えるも他方、フランスなんぞ国内がガタついて核の保全管理なんて大任、大丈夫か?
 ひょんな偶発亊から疑心に駆られた全面核戦争なんて、米ソ間のホットラインも通じたばっかりの頃、世界の終わりは10秒後なんてまんざら冗談とも思われなかったのじゃないか?

 そんな地上の紛糾を余所に異星人はチンケな核兵器を鼻で嗤うようにUFOを繰り出して地球を食いものにする気なのか、痛苦の歴史を編む愚かなサル動物に安楽死を授けようか、それとも思慮と寛容を説くべきか迷ってやしないか?三島的にも水金火Cygnus-61、太陽系ほか各星人の皆さんはどなたがどちら派でしょうか?と、星を見上げて問うてみたくなったのも頷ける。
 ともかく、起きれば十分世界がダメになるほどの核兵器と高速担送手段、その二の矢、三の矢の準備まで揃ってしまった局面に立たされて、死ぬほどいがみ合うヒトへの救世主だか黙示録の騎士の役だか、天界から来たUFOを前にして世界は一体となって抵抗するのか恭順するのか?むしろこんな外圧こそヒトが頭を冷やすきっかけになるとは思えただろう。

 このように、あの頃はあっと言う間に皆死んでしまう未来が一歩先にある、という事だったわけだが、それがすでに60年、この間人間界は何歩進んだものやら、人口は4倍増、核兵器は2倍半で頭打ち、それが半減まで落ちたが、品質は高性能化、拡散も進んで危機も使えないもむかしのまんまだ。なのに60年間の緊張にヒトは慣れてしまったのか?
 対して、この核兵器を更新、増産するためにも、加えて核使用に至る前段にして、また切り札の核を切らないためにも通常の戦争、超大国の代理戦争から地域覇権戦争、民族・宗教紛争の繚乱状態、これを支える通常兵器とその運用、作戦とその支援体制の装備ほかでの更新、多面化、多様化、緻密化、高性能化が練られる。その技術は民生転用されて世界は大いに潤いかつ資源採掘と廃棄物で弱体化し汚れ、気候までしまいにおかしくなる?
 真鍋淑郎が気候モデル計算から二酸化炭素の増大が気候の変動の元になる事を予想した始まりもこの三島の時代であるが、その声は当時はまだ小さく三島の耳には届いてなかっただろう。すると、半世紀のち「美しい星」の映画化をみると世界の終わりは核兵器でなくて気候変動でもたらされるとは。

 この辺り、三島はどう思うだろう。気象の極端化、災害の激甚化、気候帯の移動変化、不安定化は生活の変化を迫り、生産、開発、思考の変化と身の処し方も促しヒトの活動を内省を強めながら活発化させる契機となる事は認めるだろうが、それがつまりはよくない事ばかりとは限るまいという事で、事の吟味は難しいとするのではないか?
 ただ、少なくともこの件でもヒトは意見をすり合わせ何らかの賢明な合意に至る事が出来ないのを、やはりそんなものなのか、とも思うだろう。
 半世紀、核戦争を思い留まり弾頭数半減に漕ぎつけたヒトだが、核の急迫感には程遠い気候・環境問題を前に不安を感じながら実効性のある対策を取れぬ間にいつかヤバさの敷居を越え、もう回復できないところに至る気味の悪ささえ感じながらも「分からない」というぼんくら振りであって、いっそ核戦争のスイッチを自ら押してきれいさっぱり死に絶えてしまえ、と三島も檄しはしないか。どっちにしても彼は既に冥土にいるわけだし。
 なんてぇ半世紀だ、「日本」を枕に自刃するのはちと了見が狭かった、早まった、とまでは思わないか。

 そんな世間のどん詰まりにフランキーおじさん自身もガンでどん詰まって、内なる火星人もどうやら白旗状態。お迎えのUFOに移乗して見下ろす先の元自身の姿に、あいつの頭ン中、S●Xばっかだったなーとか思ったりして。
 そんな地上の抜け殻おじさんは脱火星人で正気に返ったとたん全開する色欲・情欲と増殖全開なガンとのせめぎ合いに絶望して、てめえ火星人め勝手に逃げちまいやがってと、ヒトの体を弄んでと、温暖化する世界に沈む我が身を茫然自失するのではないか?この苦しみを晴らすには今こそ核による清算が望まれると三島も遂に得心するだろう。
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