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ウルフェンのsleepyのレビュー・感想・評価

ウルフェン(1981年製作の映画)
4.2
N.Y.を取り返す ****




  80年頃、オランダ系の世界的大富豪で政界にも顔が効く著名なヴァンダ・ヴィア夫婦が、ニューヨークのバテリー・パークで明け方に凄惨な最期を遂げる。警察は猟奇犯かテロリストの仕業かと考えるが、現場で謎の獣の体毛を発見した刑事のデューイ(フィニー)は女性心理学者レベッカ(ヴェノラ)の手を借りて捜査に乗り出す・・。

実際もこの時期そうだったようだが、沈む船からネズミが逃げるように住人が居なくなったサウス・ブロンクスのゴーストタウンに、得体の知れない何かがいる。遙か太古からいる狼の精霊というかミュータントというか半実体の超常的存在(いわゆる狼男ではない。”Wolfen”)という設定がユニークだ。ターゲットを選び、状況を理解する知能もある。欧州からの白人移民により、17世紀にテリトリーを追われ、一部がひっそりとメガロポリスの片隅(廃教会の上)に棲息していた。しかし20世紀の地区再開発により再び安住を覆され、テリトリーを侵される・・。

一方で、今も自身の文化や信仰に則ってこの大都会に暮らすアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン。いわゆるインディアン)が描かれる。ウルフェン同様に居住地を追われた歴史はご存じの通り。怒れるウルフェンの存在と相まって、まるで彼らの存在が白人へのアンチテーゼに思えてくる。彼らの自然信仰、精霊信仰の対象のようなウルフェンに、まるで人間が仕えているような気がするほど密接な関係として描かれていて、彼らと後から新大陸に来た白人の対峙構造が本作の基礎を為している。先住者・疎外者からマジョリティへの恨み節。「彼ら」は何百年の時を経て、静かにマンハッタンを取り返そうとしているのか・・。

興味深いものが冒頭のバテリー・パークのシーンにある。ヴァンダ・ヴィア夫婦が真っ暗な公園にある、風車のレプリカのそばで殺されるのだが、これは1625年にオランダ人入植者ヴァンダ・ヴィア(Van der Veer. オランダ系)がアメリカで最初に建てた風車である。つまり最初の犠牲者一族の祖先が建てたもの、というところがユニーク(原作は未読。この描写はあるのだろうか)。末代祟るというか350年を経た、いわば子孫への復讐ともいえる。ここにはウィンドウチャイムやフォークロアなオブジェがあり、ウルフェンの視点と相まってサスペンスフル。明け方の風の冷たさまで感じる名シーンと思う。

余談だが、1621年、オランダ西インド会社が進出し、一帯をニューネーデルラントと呼んだ。1626年、オランダ人入植者は先住インディアンからマンハッタン島を購入し、ニューアムステルダムとし、砦が作られた(東部にもインディアン系の人はいた)。本格的入植は17世紀後半だが、第二次英蘭戦争により、このあたりもイングランドの支配に服した。東部アメリカ、そしてニューヨークは(英国だけでなく)オランダ系と関係が深いようだ。

閑話休題。
そして非常にニューヨークの描写が異色だ。爆撃を受けた後みたいな荒廃した南ブロンクスやひっそりとしたマンハッタン。人けなく雑踏とは無縁の静謐さ。華やかさとまったく隔絶した「人がいない」大都会というのもなかなか魅力的だ。いつも水際や対岸から摩天楼が遠くに捉えられて、どこか近未来の辺境、あるいは人口減少後の世界のように思えるから不思議だ。また、ネイティヴの末裔は鉄橋の上に出没・棲息し、まるで古の西部の高い岩山から下界を見下ろす斥候のようだ。
スタテン島やマンハッタン橋(高所恐怖の人は注意)、ブルックリン橋、バテリー・パーク・・などなどを印象的に撮り、本作の空気を決定づけている。本作はこのようにニューヨークの来歴、当時の世相や街並みを多分に取り入れた街についての映画でもある。ニューヨークのダークサイド、そして黒歴史に触れた映画であり、映画「裏マンハッタン」(?)と言ってもいい。

一方で本作は自称、文明世界の支配者を自負する傲慢で野蛮、強欲な人間たちへの警告を発し、生存と防衛に特化した一種の「完全神」としてウルフェンを扱っている。彼らの言葉を借りれば「技術は手にしたが感覚を失った」人間、テリトリー概念、高次の存在をないがしろにした人間に「身の程をわきまえろ」と言っているようだ。人類は決して永遠の捕食者ではない、富を食い散らかす者が被捕食者となる日が来る・・のか?
shape-shifting(変体)という概念(?)も語られる。他の種(しゅ)に姿を変えるという現象だ。体は魂の具現化。表面は内面の状態を表す・・。

朴訥でエモーションとは程遠く思慮深いデューイに英国映画界の名優、アルバート・フィニー。心理学者レベッカに個性派ダイアン・ヴェノラ(「バード」「ジャッカル」「F / X引き裂かれたトリック」等)。
ネイティヴのエディにこれまた異色なエドワード・ジェイムズ・オルモス(「ブレードランナー」)という布陣。「刑事グラハム / 凍りついた欲望(レッド・ドラゴン / レクター博士の沈黙)のトム・ヌーナン、「シカゴ・コネクション/ 夢みて走れ」「コットンクラブ」等のグレゴリー・ハインズと渋い顔ぶれも見逃せない。

そして名手ジェリー・フィッシャー(「できごと」「恋」「荒野に生きる」「パリの灯は遠く」等)の色乗りの良いシックな撮影が素晴らしい(Wolfenの視点を表すケムトン処理の斬新さ)。

骨太かつ実直な展開と映像の工夫・美しさがほどよい塩梅で、充分に娯楽の要素も盛り込まれている。高尚なテーマながら、警察捜査モノ、超常存在モノが好きな方にもちゃんとお薦めできる。「事件記者コルチャック」ファンにも。

いささか消化不良の点はあるが、歴史的・哲学的・民俗学的内容にも(不充分ながら)触れた、大変意欲的な指向を持つ映画だと思う。永らく無理解に苦しめられた映画?だが、今観ても古びていず志の高い作品。ラスト20分ほどにはジーンとさせられた。
Wolfenは容赦ないが気高く美しい。粗い点はあるが個人的には高評価である。本作はもちろん動物パニックでもホラーでもない。ネイティヴアメリカン視点、征服・被征服視点に気づかないと本作は誤解されたままだ。

Wolfen, 1981, 米, Orion Pictures, Warner Bros. 115分, オリジナルアスペクト比(もちろん劇場上映時比を指す)2.35:1( 70mm-2.20:1 ), Panavision, カラー (Technicolor), Dolby, ネガ、ポジともに35mm
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