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ハリーの災難のsleepyのレビュー・感想・評価

ハリーの災難(1955年製作の映画)
4.6
ハリーよ永遠に眠れ ****




    原題:Trouble with Harry, 1955年、米、カラー、99分。
全編にわたり、人を喰ったユニークさがいっぱいの快作。ヴァーモントの美しい紅葉の丘と、永遠の静かな眠りを妨げられっぱなしの可哀そうな男ハリーの対比が鮮烈。(「サイコ」のあの方を除けば)ハリーはヒッチコック作品中、最も有名な死体という名誉を賜うことになった。「レベッカ」「ロープ」「裏窓」では、一度も姿を現さない死体と妄想が登場人物と映画そのものを前へ進める中心となっていたが、本作は観客だけでなく主人公たち4人にその姿をさらす。さらすどころではない。あっちへやられこっちへやられ、何度も埋められ掘り起こされ、洗われてもう安眠どころではない。皆が振り回されるのか、ハリーが振り回されるのかわからなくなる。

東海岸であること、秋という季節、くつろいだルーラルな雰囲気などから、なんとなくハリーの亡骸がThanksgiving Day(感謝祭)の七面鳥や、収穫祭のポテトみたいに思えてくる。「自分がハリーを殺したかも知れない」と思いながらも、罪悪感が見事に抜け落ち、「まあ、死んだのはしかたないよね」とばかりの無頓着さ。誤った博愛精神。
みなの後ろめたさ・厄介すべてを肩代わりし、皆の悩みや嘘と共に埋葬されるハリーと、キリストとの類似点が海外のサイトでは指摘されてもいる。考えもつかなかったことだ。

マーダー・ミステリーではないが、死体が映画の中心にあり、発覚のスリルはなかなか。しかし何より本作にはこの監督らしい別の側面が横溢している。それは受難者に対する突き放し。ヒッチコックの意地悪な面が、含み笑いを伴って前面に出ている。
彼はだいたいからして、登場人物を(そして時には俳優を)翻弄して喜んでいるという、趣味のいい人。まあ他人の不幸は映画のタネという発想がこの監督にはある。

彼のユーモアは「裏窓」「泥棒成金」「北北西に進路を取れ」「ファミリー・プロット」等にも見られ、「フレンジー」と本作はその頂点だろうと思う(「フレンジー」は反面ものすごく怖いが)。本作が作られた55年からほぼ10年続いた、テレビの「ヒッチコック劇場」(Hitchcock Presents)と、「ヒッチコック・サスペンス」(Hitchcock Hour)でも黒いユーモアを活かしたエピソードが多く、共通点が多い。これらテレビシリーズ2つの先駆けとも、あるいは試験運転ともいえる。

特筆すべきは、音楽が本作でヒッチコックと初タッグを組んだバーナード・ハーマンだ。牧歌的ながらOpからホルンの不穏な響きが鳴り響いてニンマリさせられる。クレジット背景の一筆書きみたいなイラスト(ソウル・スタインバーグ。パウル・クレーのタッチ)も可愛らしくて、本作がそれまでのヒッチコックとちょっと違うぞ、と思わせて秀逸。ヒッチコックは自身の監督作の中で本作の音楽を一番気に入っていると述べた(71年6月18日、NYタイムズ)。それほど本作の軽快なハーマンは素晴らしい。
恐らく50年代の米ニューイングランド地方の長閑で大層景観の良く、色とりどりの秋の田舎が最高に美しい。この撮影は本作の少し前から概ね「マーニー」まで組んだ名手ロバート・バークス(その頂点が「めまい」)。

役者では、とにかく動じない飄々としたフォーサイス、あまりに切り替えの早い朴訥な元船長役のエドマンド・グウェンはじめ、ミルドレット・ナトウィック、ミルドレット・ダンノックらみな愉快。

そして大書すべきは、青いワンピースが似合いすぎる、映画デビューのシャーリー・マクレーンのあまりにキュートな笑顔と肢体。ショートカットが似合い、小鹿のような溌剌さ。よく変わる気取らない表情が素晴らしい。本作でのキャラの来歴は当時としてはちょっとキワドい奔放さも匂わせる。可愛い。

死体で始まり、死体で終わり、不謹慎だが気分よく観終えることができ、清々しささえ感じる。ハリーの顔は一度もはっきりとは示されず、死体さえマクガフィンとして、ジョークにしてしまう。
ヒッチコックのとぼけた面が開花し始めた喜劇タッチの里山?サスペンスの1篇。評価が不当に低すぎる。いったいどこを観ているのやら。

★オリジナルデータ:
Trouble with Harry, 1955年, US, 99分. オリジナルアスペクト比(もちろん劇場上映時比を指す)1.85:1, VistaVision, Color (Technicolor), Mono., ネガ、ポジとも35mm (horizontal)
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