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草原の輝きのsleepyのレビュー・感想・評価

草原の輝き(1961年製作の映画)
4.4
熟れない果実は苦い ****




   若き日の性への衝動、とまどい。罪悪感・・・・。それはときに耐えがたいものとなる。ときは1928年、ミッド・アメリカはカンザスの小さな町。「皆が皆の顔と名前を知っている町」。Splendor in the Grass  / William Wordsworth. 本作はこの詩からインスパイアされた。本作の原題でもある。劇中の高校の授業とラストにでてくるウィリアム・ワーズワースの詩。ワーズワースは16世紀から17世紀に活動した英国の詩人である。

バッド(ベイティ)とディーニー(ウッド)はハイスクールの同級生。心底愛し合う2人だが、どうしても一線を越えることができない。2人とも体は大人なのに。バッド家は石油で財をなした成金。息子の結婚相手は上流家庭の娘を望み、結婚までは「軽い」娘と適当に遊べという。ディーニー家は食糧店を営む中流家庭。ことあるごとに性衝動は罪であることを教え込む。バッドは他の女性と1回きりの関係を持ち、それを知ったディーニーは精神のバランスを崩して療養所へ・・・。

本映画は、性衝動と罪悪感・葛藤を横糸に、そして若者の父母との行き違い・自立を縦糸にして織られた苦悩の物語。本作はいまだ堅い道徳観が支配するアメリカの地方都市の物語であるが、このテーゼはどの時代、そして日本でも普遍的である。10代の自分は乗り越えてきたはずだ・・・いや、乗り越えてきたのか??バッドの葛藤は滑稽だろうか。ディーニーの痛みは弱さゆえか? 見る者には大なり小なり思い当たるところがあるだろう。

一方で2人の父母は単なる俗物のかたまりとしては描かれていない。彼らが子を心底愛していることは間違いない。ただ彼らは自らの来た道を忘れている、そして若者には自身の行く道がわからない・・・。来た道を忘れた大人たちはまだひな鳥の心を心ならずも引き裂いてしまうのだ。そして突然訪れる世界恐慌・・・。ディーニーは精神病院で、バットはピザ屋で新しい人と出会う。2人の選択は・・・・。

原作はウィリアム・インジ。アカデミー脚本賞受賞。ウッドは主演女優賞にノミネートされた。。カザンは『波止場』を筆頭に社会派といわれる作品を多く送り出した。一方で人間の生の痛みや弱さをセンシティブに描いた。本作は『エデンの東』と並ぶ後者の代表作だ(1961年 カラー)。1920年代の風俗・価値観の表現も見ものである。撮影は名手ボリス・カウフマン。

この映画は、朝露が残る若葉のようにはかなげで、そしていまだ熟れない果実のように苦い。たしかに現代、古めかしく見え、想像しがたい部分もあるが10代の方には何かひとつでもひっかかるものがあれば幸いだ。人生を折り返した者には、自身と子育てをどこか微笑ましく振り返りつつも、甘酸っぱい回想とともに見ることとなろう。

最後にさきの詩を紹介してレビューを終えたい。本詩はこれからの2人の道程を指し示している。

Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass,
of glory in the flower, we will grieve not.
Rather find strength in what remains behind.

草原の輝き 花の栄光
再びそれは還らずとも なげくなかれ
その奥に秘められたる力を見い出すべし(訳:高瀬鎮夫・本DVDより)
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