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海底二万哩のsleepyのレビュー・感想・評価

海底二万哩(1954年製作の映画)
4.2
海底の復讐者 ****



     原題「Twenty Thousand Leagues Under the Sea」(原作小説原題は「Vingt Mille Lieues Sous Les Mers」)だが、本映画は「海底二万哩」として公開された。DVDでは「海底2万マイル」と改変。1956年、米、カラー、127分。

原作は未読だが、映画としての完成度の高さに驚く。意外にも鋭い文明批評と、人のいびつで不可解なダークサイドが描かれていた。スコープサイズで娯楽の王道を行く作りだが、底には暗くて厳しいペシミズムと、国家への不信などが盛り込まれている。大人はもちろんだが、はっきりとはわからないまでも子供にも感じるところがあると思う。子供をなめた映画は子供にもすぐに忘れられる。

表面上はジェントルだが、ネモ船長の激烈な内面・厭世観は本作に深みを与えている。捻じれた世捨て人で、復讐者。現在の為政者の一掃を願い、恐ろしきパワーと叡智とともに、海底を流浪する。社会善の実現は小さな犠牲を許すのか、というテーゼも感じられる。威厳とカリスマ性溢れるネモを演じるジェームス・メイスンが抜群にいい。この人はどんな映画に出ても、自然で印象深い芝居で、作品を1ランクUPさせる。あくまでも理想(幻想だといいたくない)を追求するパラノイアみたいなネモをいかに描写するのかは、本作の説得力を左右すると思う。今なら、ネモの来歴をいちいち明らかにしたり、過剰な芝居をつけたりして台無しにしてしまうかも知れない。

本作はこんなテーゼを扱いながら、海洋冒険SFとして、娯楽としての側面も充実している。水葬ならぬ水中葬。海底牧場。ノーチラス号内外の造詣と、作品に流れる未来像・ビジョンにドキドキした。もう1つのフロンティア、深海。深海はいまだ21世紀においても、人類に踏破されずにそのロマンを保っている。

リアル特撮を使ったシーンは、奥行きと質感のない現在のそれと違い、重力を感じさせる。特に海面の描写が秀逸だ。そしてダイナメーションで有名なレイ・ハリーハウゼンや、日本が誇る円谷プロの作品群のような創意工夫と試行錯誤と被写体への愛情がある。また、ボルト、ナットフェチにはたまらない作品となっている。

ルーカスもうまいが、助手役の怪優ローレが忘れられない存在感を放つ。妙に人間臭い。ただダグラスは(原作に近いかどうかは別として)どこかミスキャストの印象が個人的にはある(ダグラスは大好きで偉大な役者だが)。この4人のキャラがみな明確に分けられている点も見逃せない。

フライシャー監督は後年のシリアルキラー3部作(絞殺魔、10番街の殺人、見えない恐怖)を撮り、また、Compulsion(強迫/ロープ殺人事件)やViolent Saturday(恐怖の土曜日)、「マンディンゴ」のような問題作も撮り、大いに映画好きの血を騒がせた。
そして本作や「バイキング」「ミクロの決死圏」のような娯楽作でも、+αを感じさせる腕を持っていた。「ラスト・ラン」や傑作「センチュリアン」のような情感あふれる作品も撮った。米映画を語るに欠かせない監督だと思う。スコープを活かした厚めの撮影はフランツ・プラナー(「ローマの休日」「大いなる西部」)。

本作の対極にある、エモーションなき、落ち着きなき、消費のための現代の大手スタジオのアトラクション映画は、見た目の豊かさにも乏しく、太刀打ちできないと思う。本作には、いささか時代を感じさせる部分(島の住民の扱いや笑いの部分)があるが、骨太で抑制が効いた娯楽性は今なお色褪せていない。乗組員やニューパワーなども設定に(結果的にか)曖昧さを残している点も良い。
原作ファンには異論もあろうが、実質★4つ半。世界が重大なものを永遠に喪失してしまったかもしれない顛末に、個人的には少し考え込んでしまった。余韻を残すラストだ。

★オリジナルデータ:
Twenty Thousand Leagues Under the Sea, 1956年, 米, オリジナルアスペクト比(もちろん劇場公開時比を指す) 2.35: 1 CinemaScope (uncredited),127分, カラー (Technicolor), ステレオ, ネガ、ポジともに35mm
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