レオピン

理由のレオピンのレビュー・感想・評価

理由(2004年製作の映画)
3.7
さーつーじーんじーけーんーがー むーすーぶきーずなー

まず 配信サービスのサムネは一徳さんが完全に犯人ぽい印象ですが、ただの管理人であるということをいっとく

バブル期に建てられた巨大高層マンションで起きた凄惨な一家四人殺害事件。「家」の購入がきっかけの殺人事件をめぐり「イエ」に囚われる日本人。世代ごとの「家族」観。「家庭」の絆をどう結び直すか、等。ルポ形式で見せる技が斬新でした。

このマンションのモデルはあの北千住の国松長官が襲われたマンションだよな。どう見ても。ちょっと本棚の奥に眠っていた小説を読み返す。

当時まだ「タワマン」という言葉はなかったが代わりに「億ション」というのはよく聞いた。バブル崩壊後値下がりしたとはいえ億近いマンションで、住民たちは同じフロアどころか隣りに誰が住みどういう家族構成なのかについて全く何も知らずに興味もない。

理事会では居住者名簿の提出に反対したりする程度の市民意識が芽生えているわりに、住民自治などというものからは程遠い実態。隣人の北畠敦子が近所付き合いに消極的な理由を語っていた。それは強固なセキュリティ意識。

またマンション管理会社部長の、住宅としてのクオリティが上がれば上がるほど、住民同士の交流の度合いは下がるという経験則もあった。なるほど。日本では男は会社単位 女は子ども単位でしかコミュニティを保てない。まさに。

結局この社会はコミュニティの維持のやり方を学んでこなかったんだ、一度も。投票をよびかける以前にもう一度、お隣りに醤油を借りにいくとか、子どもやお年寄りを預けるとかを強制的にやらせた方がいい。住民自治がないところほどポピュリズムに流れやすくなるのは理の当然だわ。

「事件の起こった舞台には、現在の日本の不動産流通の問題、裁判所の競売制度の問題、法律の隙間で活動する占有屋の問題と、見過ごしにはできないものが隠れていました。あの石田直澄氏は、そういう状況の犠牲者だったように、私には思えます」と弁護士が語る。

あの石橋蓮司の社長さんはある種の義侠心からああいうことをやっていた。悪いのは銀行だ、国だ。自分は世の役に立っているんだという。『マルサの女2』での三國連太郎みたいな。暴露系の匂いもする確信犯的人物。

競売やら占有とかというのは物語の表層で人物の動機については原作に譲る。小糸静子と砂川里子の語りはカットされていたが小説としてはここが一番読ませどころ。なぜ砂川氏が蒸発したのか。なぜ血縁を捨て偽家族を選んだのか。母の砂川トメの半生にその理由があった。時代が悪かったのか。だがほんの何十年か前までそういう環境だった。

人が木の股から生まれるのでない限り、過去があり歴史がある。そしてそこに生きている限り縁が結ばれる。ホームベースは血縁家族でなくてもよいが、それなくしては人は傷を癒やすことも外に撃って出ていくこともできない。家族の距離感。片倉ハウスや宝井食堂のように距離が近いところでも歯車が狂えば殺しあってしまうのだろう。
 
高層マンションとは対照的に、路地裏の人々は照明でその違いを見せていた。あいかわらずの画面の情報量の多さ その処理に困る。生活の息遣いが聞こえる町並み。目線の高さにある植木鉢とか井戸とか墓地とか。どちらが安心安全か。

とにかく礼儀正しい少年少女たちを描かせたら大林監督の右に出るものはない。ラスト、あの少女のきっと口をむすんだ表情になぜだか涙がこぼれる。なんでおっさんが泣かされるのか。

片倉ハウスに泊まっている労務者で大前均
お隣り2026号室の北畠敦子に小林聡美
宝井綾子の母に左時枝、父にベンガル
石田直澄の母キヌ江に南田洋子 父直隆に片岡鶴太郎

サンドイッチスタンド「あしべ」の砂川里子に根岸季衣
冷淡だった三田ハツエの娘に柴山智加
美容室店主に木野花
通りすがりのおばさんでドラえもん

ノーメイクでの出演要請にいち早く反応した南田洋子、さすが。

うっとうしい絆から逃れてたどりついた疑似コミュニティの悲劇。2023年は年明けの狛江の事件とか闇バイトとか、犯罪白書的にはきっと画期的な年となるはずだが、もうこの頃とは決定的に何かが違ってしまっている気がする。少なくとも、
やーみーばーいーとーがー むーすーぶきーずなーとかって歌ってられるレベルではないようだ。

音楽:山下康介

⇒宮崎将、宮崎あおいは実の兄妹役で出演
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