Kamiyo

真珠の耳飾りの少女のKamiyoのレビュー・感想・評価

真珠の耳飾りの少女(2003年製作の映画)
3.8
2004年 ”真珠の耳飾りの少女” ピーター・ウェーバー
脚本 オリヴィア・ヘトリード
原作 トレイシー・シュヴァリエ

一枚の名画が存在する 。。。。
フェルメール作《真珠の耳飾の少女》
映画を観る前から、この絵の存在には心惹かれていた。
それゆえに、そこから描かれるストーリーに心を奪われないわけはない。。。。

17世紀のオランダの画家フェルメールはその人気の割に現存する絵画が少ないため希少性が高く、日本での展覧会など毎回長蛇の列が続く。その中でも特に人気が高いのが本作のタイトルにもなっている『真珠の耳飾りの少女』だ。かねがねこの作品が他のフェルメール作品の中で異彩を放っているのを不思議に思っていたのだが、本作を観てその謎が解けた(もちろん本作はフィクションであるが)?

舞台は、1665年オランダ・デルフト。
事故で失明した父に代わり家計を支えることになった少女グリート(スカーレット・ヨハンソン)は、画家のヨハネス・フェルメール(コリン・ファース)の家の住み込みの使用人となる
グリートは、学は無いがタイル絵師の父の血を引いたのか、色彩感覚や絵を描く際の光の加減のセンスに長けているシーンが、序盤彼女がフェルメールの画室を掃除する際に、何気なく描かれている。
グリートを演じるヨハンソンの清楚な美しさだ。知的で奥ゆかしく純真。画家なら彼女を描きたいと思うのも当然だろう。しかし彼女は美しいだけでなく、光や雲や空の「色」を感じとるセンスを持っている。色彩だけでなく画家が描こうと思う人物の内面までも見て取れる審美眼を持っているのだ。フェルメールが彼女に惹かれたのは、芸術家とは、時に相手の持つ才能に恋をする、感性で惹かれあい、感性で愛を語るのかもしれない。
でも、それは単なるきっかけにすぎず、本当の愛に変わるまでに、そう時間はかからないのだと思う。。。。。
グリートになら、ゆだねてもいい・・

グリートの類まれな色彩感覚を見込んだフェルメールは、
絵の具の調合を任せる。そして、密かにグリートをモデルに絵を描き始める 画家にとっては命ともいえる<色>
その色の調合を、人の手にゆだねるということは何を意味するのか・・・
芸術家とは、ちょっとやそっとでは譲れない自分の拘りを持っている人たちではないのか・・・
よほど、才能を見込んで信頼するか・・
いや、それだけでは無理だろう。
フェルメールは、グリートの持つ<色彩感覚>という天性の才能に、一目惚れしたのかもしれない。

グリートの才能に気付いたフェルメールが、
彼女に絵の具を買ってくるように依頼した時。
字幕では、”群 青”と出るが、フェルメールは”ラピスラズリ”と言っている。ウルトラマリンとも呼ばれる鮮やかな青を出す高価な鉱石である。
その青が「真珠の耳飾りの少女」のターバンの鮮やかな青になっているのである。

フェルメールがグリートに、絵の具の調合を手伝わせるようになり、アトリエに籠る事で、世間やフェルメールの妻は猜疑心に駆られていく。
妻の激しい嫉妬は、女としてのありふれた嫉妬ではなく、芸術家の妻だからこそ感じとれた嫉妬。
深く心で結びついた二人を目の当たりにし、自分が手にすることの出来ない愛を垣間見たのだろう。
才能ある画家の妻でなければ知りえない、深い想いや、嫉妬が、彼女の心には描かれていたのだ・・。

ピアスの穴を耳に開けるシーンの官能さはどうでしょう
フェルメールがグリートをモデルにする事を決め、
妻の耳飾りを付けるために、グリートの片耳にピアッシングするシーンは処女の破瓜と出血の暗喩そのものではないでしょうか。。。エロティシズムさえ、感じさせる。
それゆえにグリートはすぐにピーターのところに走って抱かれたのだと思います

運河から見るフェルメールの家の景色が
息を飲むほどに美しい夜景。
フェルメールの絵画好きなら、作品の舞台となるアトリエ、その窓、机に掛けられたクロス、床の市松模様のタイル、それらが彼の作品と同じような光線の中で映像として写し出されたならば、それだけで感激せざるを得ません

この作品を観て気分が盛り上がったら、フェルメール展覧会が有れば行ってみてはいかがでしょうか
もしかしたら絵画の登場人物が貴方に話しかけ
新しい物語を紡ぎだすかも知れません
Kamiyo

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