世俗の理屈が通らない境地に達している人々を表したものとして、あー信仰ってこういうことなのかなと得心がいくような気すらした。男たちが裸足でよちよちと丘を駆け上がる後ろ姿、修道服を翻してよちよち駆ける群像を見てるだけで、なんて好い映画なんだと思える。これからも都度思い出したい。
全体に溢れる稚気はラストのエピソードで決定づけられる。子どもが遊ぶようにぐるぐる回って倒れた方向へ行って布教しなさい、という。皆言われたとおりぐるぐる回ってふらふらとあちこちへ倒れる。でも途中で弟子入りした老人ジョバンニはぐるぐる回っても目が回らないと訴える。そのうち目が回ったふりのような感じで倒れ込む。
フランチェスコの正面バストショットに小鳥が集うシーンは奇跡。これCGでやったら鼻白むが、ほんとにフランチェスコの周りに小鳥が集まり彼の肩にとまった小鳥にむけて説法を説く。
弟子ジネプロがアクロバティックに捕縛される(両手両足を掴まれ縄跳びにされる、ほんとに馬で轢き回される)ので心配になるが、丹古母鬼馬二似の暴君は自力で動くことも外すこともできない馬鹿みたいな鎧を被せられてて、ジネプロと暴君のカリカチュアライズされた自由度(魂の自由?)のコントラストが際立つ。一方は帰依してるから自由と言っていいのかわからないけど、修道士仲間が求める豚の足を勝手に切り取って「役に立ったことを喜べ」ということと、轢き回されても丹古母鬼馬二にどんなに凄まれても無言でうっすらとした笑みを絶やさないことは、理屈の通らなさとして相通じると思わせる説得力がある。
中世のヨーロッパって9割くらいの人が未開の蛮族みたいな生活してたんだろうなーと思わせる衣装と美術も好かった。
アキ・カウリスマキのレニングラードカウボーイズはもしかして本作をオマージュしてるのでは。