風に立つライオン

宣戦布告の風に立つライオンのネタバレレビュー・内容・結末

宣戦布告(2001年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

 2001年制作、石侍露堂監督による戦争ポリティカルサスペンス映画の秀作である。
 
 近年、映画「空母いぶき」が制作されているが、警鐘をならす数少ない映画の中でも20年以上前に創られた本編と比較すれば希望的観測が強く、骨太感と危機管理シミュレーションのリアリティーと優位性という点で本編に遠く及ばないと思える。
 ウクライナ事案を見るにつけ特にその感は強くなる。

 とは言え本編ですら、敦賀半島へ上陸した侵略国家名をもろ北朝鮮のところを北東人民共和国としているし、刺激が強過ぎるとの懸念から防衛庁(当時)が協力を拒み自力での制作となった作品である。
 もともと自衛隊の映画制作への参画は「PRと訓練」との趣旨に沿うものがある場合で怪獣映画なら兎も角、こうしたあからさまに敵国を固有名で想起させるものには扉を閉じるのである。
 また、自衛隊員が民間人を殺害する「野生の証明」や「戦国自衛隊」(時代が違うといっても自国民)にもネガティブに反応している。

 本作における内閣の混乱振りと自衛隊出動へのハードルの高さの描写は凄まじいものがあり気づきの視点を与えているという点で特筆すべきである。
 さらに20年以上経た今観ても何の変化もなく違和感なく観てしまえるところが何とも呑気な国家だと痛感してしまうのである。

 武装した国籍不明の軍隊が我国本土に上陸して戦闘を行っていても自衛隊が発動し、武器の使用が可能となるまでに200項目以上の政府手続きが必要となる現実を見るにつけ、これが平和ボケし、事なかれ主義で今日までなおざりにされてきた証左であると感ずるし、自衛隊の戦車の車列の先頭は警察パトカーとなるチグハグさを見るとむしろGHQの我国の徹底した牙抜きの現実に驚かされる。 

 物語は福井県敦賀半島に国籍不明の潜水艦が座礁しているのが発見されるところから始まる。
 現場の目と鼻の先に美浜原発がある。
 かねがね思っていることであるが、この国は何故原発を廃止しないのか。ドイツのように前面廃止ができないのは原子力村における利権絡みのしがらみがあるからと言われているが、平和ボケの最たるものである。小泉元首相も原発反対を主張しているが未だに廃止はおろか再稼働まで展望している有様である。
 自論として思っている廃止の論点は、
①放射能という産物がひとたび漏
 洩すると何万年にも渡って汚染 
 影響が残る極めて減衰期間の長
 い代物であり、現代の技術力で
 は完璧な封印を担保出来ないこ
 と。つまり人間の手に負えない
 ものを扱っているということ。
②自然災害から守られるレベルを
 確保出来たとしても戦争、テロ
 による攻撃のターゲットになり
 得るものであること。これは常
 軌を逸した独裁者がいる限りあ
 り得ることなのである。ウクラ
 イナ事案がこの事を既に語って
 いる。

 そんな事は絶対にやらないと一部の知識人は言うが、無知で暴走する集団はむしろその国に混乱をもたらすいいターゲットだと考えるのである。そんな事世界が許さない、国連が認めないといったところでどれだけ無意味、無力であるか現実が証明している。
 IAEAは日本が未だに原子力発電における自然災害やテロ・戦争への対策が無策であるとみている。
 こんなことを続けていると国際信用力は本当に地に落ちてしまうだろう。

 その施設のすぐ脇に潜水艦が坐礁したのである。

 かつて野中官房長官時代、日本海で操業中の漁船の網に潜水艦がかかって引き上げられたことがある。船内に北の搭乗員2名の死体が発見されている。
 いずれも死因は毒物の摂取によるものであった。まるで旧日本軍の「回天」である。
 そもそも潜水艦は漁船の網にかかってはいけないものであるがかかってしまえば「生きて虜囚の辱めを受けず」で自死を選ぶのである。
 その野中官房長官は佐渡沖に頻発して現れる不審船を実弾掃討命令により撃沈したことがあるが、それ以来不審船は現れなくなった。
 相手がどこまで出て来るかを見極めてるが為に断固たる態度に出ればそれ以上の事はないのかもしれない。
 実は潜水艦はかなりの確度、防衛網を掻い潜れる戦略兵器として米ソ冷戦下で運用されてきた現実がある。大国のこの核を搭載した潜水艦の存在が戦争を抑止してきたとも言われている。
 こうした防衛網を掻い潜って潜水艦がやって来たのである。

 潜水艦の状況からみて武装した乗組員が本土に上陸したと時の総理諸橋(古谷一行)に告げられる。
 諸橋は警察対応を指示するも、数名の犠牲者が出たことで篠塚内閣官房長官(佐藤慶)が激怒し、自衛隊出動を閣議で主張、何としても戦争回避を主張する小池外務大臣(天田俊明)と大激論となるが、民間人犠牲者が発見されるに及びついに諸橋総理は史上初の自衛隊出動を発出する。
 しかし、防衛庁のキャリア組と現場連隊本部との対立、連携不足や指揮・命令系統の不備、法解釈ギリギリの出動からくる武器使用の合法性が担保されない中で現場で発砲が出来ず、またしても死傷者が続出する事態となる。
 そうこうしているうちに自衛隊の敦賀半島への集中的配備が宣戦布告と見做され北のフリゲート艦の一群が日本領海に接近して来たとの情報が飛び込んで来る。
 そしてそれに呼応して周辺国が次々と臨戦体制のデフコンを上げ始め、北の核ミサイルが発射体制に入ったとの情報がもたらされる。

 キューバ危機以来の核戦争勃発の危機を迎え終盤に緊迫感が極度に増嵩するが‥。

 諸橋総理の判断基準もブレ気味で、遅きに失するところが多く、内閣支持率に拘るなど日本の現代政治家の有り様をよく表している。
 それもこれもこの国の形がそうせしめているのである。

 自然災害だけでなく有り得る有事に対しても「砲」だけでなく「法」の準備も怠ってはならないと痛感する次第である。