優しいアロエ

トーク・トゥ・ハーの優しいアロエのレビュー・感想・評価

トーク・トゥ・ハー(2002年製作の映画)
4.2
〈女性の内なる神秘へ〉

 スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルは、乾いた紅や黄、オレンジを画作りの基調としている。それは国旗やサッカーのユニフォームからもわかる通り、スペインのナショナルカラーである。だが、一般的にそこから連想される「愛」や「情熱」「華やかさ」「血」といったイメージとは、アルモドバルの色味はかけ離れている(少なくとも本作においては)。どちらかと云えば、無機質で人工的で、清潔なイメージを抱かせはしないだろうか。

 本作では、そんなドライな色味が「無菌室」のような世界を構築し、そこにて「女性」の深奥を覗いていく。紅い「精神と時の部屋」とでも云えるだろうか。なんとも神秘的で、崇高な物語である。

 たとえば、本作には昏睡状態の美しいバレエダンサーが登場する。身体のケアをすべて看護師に委ねているため、たびたび彼女の裸体が露わになる。だが、まったくエロくない。これは病室の厳粛さとアルモドバルの色味によるものだろう。彼女はまるで、こちらに「女性」の本質を覗かせるために、身体だけ貸し出しているかのようである。

 そんな「女性」の神秘に取り憑かれたのが、ハーレイ・ジョエル・オスメント似の男性看護師である。この男は、劇中の映画『縮みゆく恋人』に触発され、ある方法によって昏睡状態の女の深奥へと入りこむ。それは一般的には大変非道な行為であるのだが、なぜかここでは不快感を覚えない。肉欲が絡んでいるわけではないからだろうか。アルモドバルもまた、この行為を否定していない。

 そこからの展開はもはや解析不能の域であったが、ともかく昏睡状態のダンサーに奇跡が訪れる。それは死んだ男性看護師の魂が乗り移ったものにも捉えられるし、2組の対照的なカップルがひとりずつ犠牲を出し、ひとつに同化したものと捉えることもできるかもしれない。

 さまざまな女性たちの活気に溢れた『オール・アバウト・マイ・マザー』から翻り、本作は“男性から見た”、いや“女性ではない人間から見た”「女性」についての映画である。そこには、アルモドバル自身がゲイであることも関わっているはずだ。たとえば、膨らんだ胸部といったフォルムや、子を産むことができるといった機能。こうした「女性性」を、アルモドバルはごく他者の視点から見つめている。『オール・アバウト・マイ・マザー』と比較すると、〈ジェンダー〉の映画から〈セックス〉の映画に変わったとも云えるかもしれない。

 時系列を好き勝手進めるアルモドバル演出に振り回されながらも、やはり最後は妙な温もりがこころに残る不思議な体験であった。
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