YusakuGodai

遊星からの物体XのYusakuGodaiのレビュー・感想・評価

遊星からの物体X(1982年製作の映画)
3.5
 "the thing"の変形時の造形が素晴らしく、とくに人や犬、甲殻類、昆虫等を模した外形と、ネトネトとした粘着性の質感に、ある種の様式美的な美しさを見て取ることができる。より生々しく、過剰に「生き物っぽい」ことによるキモさの徹底が、おそらくはその様式の正体であると考えるが、しかし、私がもっとも感銘を受けたのは、むしろ、あまり「生き物っぽ」くない部分の造形である。具体的には、一番最初に"the thing"が変形した姿を現す場面、何か細長い触手のようなものが犬の体を突き破り、周囲を這ってうごめく様が、最高に「生き物っぽく」なくてキモい。縄跳びのヒモを揺らしているとしか思えないチープな見た目と動きだが、「シュルシュル」という奇妙な効果音とも相まって、何か深海生物のようなものを思わせる、一種独特な「異物感」を醸し出している。
 
 言い換えればそれは、たとえば人形劇に見られるような、「生き物でも物でもない異様な何か」だ。「物」を「生き物」のように動かし、「物」を「生き物」のように映そうとするとき、ふと立ち現れる「異様さ」。「物」から「生き物」へとジャンプするとき、ごくまれに、全然違うところに着地してしまう、その第三の着地点のことである。そうした、「物」が、「生き物」ではない何かへ、つまり「奇形」へと変形してしまう奇跡的瞬間が、この映画には収められていると感じる。少なくともあの触手のシーンには。

 そこで目撃するのは、ある種の幻影だ。ポイントは、重ね写しにあると思う。出発点の「物」としての姿と、到達点として想定する「生き物」としての姿、そしてその狭間に立ち現れる「物でも生き物でもない異様な何か」としての姿、三つの姿が幻影として重ね写しされることが重要だ。

 CGの問題は、出発点から到達点への飛躍が存在しないことである。「物」それ自体、あるいは「生き物」それ自体に擬態するCGと、「物」が「生き物」を演じる人形は、全然違う。CGの、そのほとんど完全な擬態は、人形のような「物」から「生き物」へ、極から極への、演技という決死のジャンプを必要としないのだ。CGは、もはや演じるまでもなく、初めからすでに、ほとんどそれそのものなのである。だからCGは、人形のような重ね写しがなく、幻影でもない。

 この映画は、CGが映画に導入され始める、そのちょうど直前の時代に作られた。「物」が醸し出す不気味さに満ち、幻影に溢れた時代、とまですべてを美化するつもりはないが、しかしこの作品には、その時代の映画の、ひとつの小さな煌めきは、確かに焼き付けられているのではないかと思う。
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