YusakuGodai

劇場版 響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそのYusakuGodaiのレビュー・感想・評価

3.7

 黄前というキャラクターが気になった。

 主人公・黄前は、それほど一人称性は強くないものの一応視点人物なのだが、しかしにもかかわらず、物語中でもっとも心が見えにくく、もっとも複雑に造形されたキャラクターである。いわゆるアニメ的な、記号的な表象からは距離があり、手持ちのキャラクター・データベース※1 から似たキャラを取りだして比べたり、要素ごとに分解して検証する、ということが難しい。だから観客は、黄前に対してつねに微細な観察を求められる。黄前がほかのだれかを見ている場面でも、僕たちはつい、その眼差しの主体である黄前の方に心を向けてしまう。同じ京アニ作品である『涼宮ハルヒの憂鬱』の主人公キョンが、平凡かつ多弁な観察者の役割を担っているのとは対照的だ。

 観客が黄前に向ける視線は、他の登場人物が黄前に向ける視線と重なる。同級生の高坂は「性格悪い」と言いつつも黄前に「愛の告白」をするのだが、それはおそらく、高坂が年上の顧問に恋愛感情を抱くことからも明らかなように、高坂からは黄前が成熟した人物に見えていたからだ。二面性はあるものの比較的単純な性格の高坂の目には、リアリスティックで心の底が見えない黄前の姿が、年齢に合わず大人びて映っていたのであろう。高坂に限らずほかの仲間たちも同様に、ある種の羨望や信頼のような眼差しを(高坂ほど明示的に描かれていはいないが)、黄前に対して向けていたように思う。その眼差しは、高い演奏技術を持つ高坂や、副部長として慕われている田中に対するそれとは、少し違ったものである。しかしいずれにせよ、みな静かに黄前を注視していた。その視線が、観客の視線と重なるのである。

 黄前という人物について、僕はある複雑な感情を抱いた。黄前を主体と考えれば、それはおそらくナルシシズムや優越感になるだろう。あるいは黄前を客体と考えれば、それは嫉妬と羨望になる。主人公に感情移入し、主人公になりきるか、もしくは主人公から距離を取って、その他の登場人物とともに主人公を観察するかで、受け取る感情の名前は変わってくる。

 僕はこのアニメを見て、山戸結希監督の短編映画『玉城ティナは夢想する』※2 を連想した。この映画では、冴えない女学生A子と、A子が憧れる売れっ子モデル玉城ティナの2役を、玉城ティナが演じる。詳細については、10分ちょっとの短い映画なのでぜひ実際に本編を視聴していただきたいのだが、簡単にいえば、見る側と見られる側、鏡のこちらとむこうを同一人物が演じるという形の作品である。鏡合わせとなったナルシシズムと羨望、あるいは優越感と嫉妬は、1人2役という映画的仕掛けと、加えてA子と玉城ティナの2人が短いカットで交互に映される終盤の編集的処理によって、奇妙に重ね合わされ、混ざり合う。主体と客体が残像の中で重なり、相反する2つの感情が溶け合う。短編ながら、複雑な感覚を伴う作品だ。

『玉城ティナは夢想する』のラスト、溶け合う一対の感情は、同じく対を成す、悲しみと救いという2つの感情が混ざり合った新たな感情へと、横方向にスライドするように、変化していく。その新たな感情に名前がほしい。おそらくそれが『響け!ユーフォニアム』から受け取った感情をも、名指すはずである。

※1 東浩紀『動物化するポストモダン』より
※2 山戸結希『玉城ティナは夢想する』
 (URL : https://www.youtube.com/watch?v=47u2F0uDNKk)
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