アニマル泉

陽炎座のアニマル泉のレビュー・感想・評価

陽炎座(1981年製作の映画)
5.0
「陽炎座」はまるでキュビズムである。空間や位置関係は断片化され、セリフだけでかろうじて繋がっていて、物語があるのかどうかもギリギリだ。これ以上は映像と音の断片を再構築したゴダールのソニマージュに至ってしまうだろう。
本作は距離がない世界だ。冒頭から橋の上の松崎(松田優作)と階段の品子(大楠道代)と病院のスロープがジャンプショットの連続で、お互いの位置関係が分からず、会話が成立しているのかすら怪しい。切り返したら別の場所にいる。お互いの距離が消滅してしまうのだ。この場面はまだ階段でのツーショットがあるから現実感がかろうじてある。しかし例えば松崎と品子が会う三度目、二人の性交場面はどうだろう、お互いのワンショットを赤と黒の絨毯の上でカットバックするばかりだ。接触がないのだ。メロドラマはお互いの距離をゼロにして、接触するまでのサスペンスに他ならないが、ここでは距離も接触もない。最後に松崎が長い足を絡ませるツーショットが示されるので、かろうじて安心出来るのだが、さらに事態は進行する。四度目の逢瀬だ。「四度目の逢瀬は恋になり、そして死なねばなりません」品子からの手紙で松崎は金沢へ行く。松崎が森の中のお堂から見ると突然、品子が満開の桜の中にいる。桜吹雪の中を松崎が走ってくる。もはやそれぞれのショットはバラバラだ。再びお堂、品子と松崎がようやくツーショットになるが松崎の首が画面から切れている。品子は手紙を出していないと言う。松崎は品子が玉脇の妻であることを暴く。そして2人がツーショットになるのはなんと揺れる水の中である。夢の世界だ。品子は死んだはずのおイネ(楠田枝里子)が自分から離れず邪魔をすると言う。松崎は確かに川面を走る船の上の品子とおイネを見ていた。また突如場所がジャンプして、川を挟んだ品子と松崎になる。関係ショットは無い。品子がスケッチしながら言う。「夢の中で手紙を書きました。私の夢を覗いている人が手紙を出したんです。夢のままに。おイネさんです。一生醒めなければ夢は夢でなくなるのに」松崎は「信じていいんですね。夢の手紙を」と言って、川をジャプジャプとこちらに歩いて来る。品子は「信じてください」そしておイネの日傘を差して「さよなら」。ノートに残された「○△□」。どこに誰がいるのかは全く自由で、もはやモンタージュは止揚され、品子とおイネが同化して、松崎は三途の川を渡ってくる。「あなたが怖ろしい。正体が判らない。知るために近づくほど遠くなる」事態になる。みんな生きてるのか死んでるのか、夢なのか現実なのか、距離を欠いた世界はのっぺらぼうの表層の世界だ。お化けの映画、怪談だ。さらに奇怪になる。心中場面だ。夜叉ヶ池を小船を漕ぐ松崎と玉脇(中村嘉葎雄)、玉脇は真っ白なスーツで猟銃を抱えている。玉脇「品子と心中してくれるかね?」池に浮かぶ木桶、中にいる品子の姿は見えずに声だけ聞こえる、「女の気持ちを判っていない」鮮やかな桶の俯瞰ショットになり、のけ反った品子の逆さまなアップ「手紙の通りになりましたわね」松崎は川べりの葦の中で立っている、松崎と桶の中の品子の会話もバラバラだ。ワンショットのみが自由奔放にぶつかって行く。「お断りします」松崎が宣言すると、玉脇が乗る小舟がグルグル旋回しだす。葦には松崎が不在、桶の中も品子が不在になる。ここから本作は時間も距離もない夢の世界に加速していく。松崎と和田(原田芳雄)が酒を飲む場面、松崎はもはや朦朧としていて和田が「乾杯」と言いながら松崎の肩に酒をかけるのが可笑しい。そして「裏返し」の場面になる。大友柳太朗が話す息子のエピソードが本作のテーマになる。人形の中を覗くと自分を見てしまった。自分が自分を見ると魂が抜かれた。そして息子は女と背中合わせに座って死にました。ラストの暗示だ。和田は裏返し人形はトドメを刺して土に返さなければならないと、自分の人形を叩き割る。松崎が宿へ帰ると死んだはずのおイネが自慰行為をしている。「見舞いの花は品子に私が頼んだのです」見てしまった松崎はもはや逃げられない、物凄い力でおイネに引っぱられる。あくまで画面はワンショットのみで関係ショットは無い。「あなたの葬式を見た」「私もお棺の中からあなたを見てました」おイネは月光の中で突然、金髪と碧眼になる「私は玉脇が作った幻の女です」「私だって生きられますよ」松崎はおイネに近寄る。ようやくツーショットになる。松崎の指がおイネの顔に伸びるが寸止めで触れない、そこへおイネが指を重ねる。「私を生かしてくださいますね」突然、おイネが黒髪に戻る。「裏返しの面白さですよ、あなたって人は」2人は布団に入る。おイネはまた金髪と碧眼になる。松崎はようやくおイネの顔に触れて愛撫しながら「穴ボコですよ。その中にいろんなものが見える。空洞ですよ。見尽くしたら壊してしまうしかない」おイネは能面になり、瞬きもせず、人形のようだ。幕が翻って一瞬、おイネは本当にマネキン人形になってしまう。線路を行ったり来たり走る松崎。そして陽炎座の長い子供歌舞伎になる。ここで本作の物語がメタ構造で反復される。もはや全てが夢の中だ。松崎と品子と玉脇が3人揃う。品子「おイネさんと寝たのね」松崎「生きてみたい、あなたと。あなたが表だったら、あの人は裏だ」品子「男は表より裏が好きなのよね」玉脇「君は逃げた。裏返しになれん」松崎「今度は誰と奥さんを心中させるのですか」3人は絶対に視線を交わさない。舞台では雪女となったおイネの少女が舞う。玉脇が銃を放つ。少女が旋回して倒れ、子供たちが一斉に舞台に駆け上がり、幕の向こうへ消える、芝居小屋は無人になる。「俺は帰る」去る玉脇の銃身にラストを暗示させる紙提灯(鬼灯=ほおずき)が括られている。ここからの品子が素晴らしい。白化粧でもはや死人のように怪しく輝いている。品子は裏方にこの芝居はどんな結末になるのか問う。「やめてくれ!あなたは裏返しと話している」松崎は見ているしかない。品子の着物が変わり、後妻である自分の物語を舞う。人形浄瑠璃のようだ。幕は転換されて川と橋になる。太夫の声「死にまする、死にまする、幕切れをご覧いれましょう」「よせ!」暴れる松崎。倒れていた少女のおイネが目を覚まし、宙吊りとなって天井に消えると、大人のおイネが舞台から松崎に向かって飛んで来る。舞台上の品子の着物が元に戻り、松崎を一瞥すると一気に幕を翻して舞台の外へ走り出す、同時に壮大な屋台崩しが始まる、スローモーションで無音になる、松崎も崩れ落ちる。そして品子が木桶の水中に潜り込み、口からほおずきを一つ吐き出すと、あっという間に無数のほおずきが湧き出て水面を真っ赤に覆ってしまう。松崎は物凄い力で木桶まで引っ張られてほおずきの中へ頭から水没する。「死体が上がったぞ!心中だ」俯瞰のひび割れた地面を村人たちが走ってくる。川に流れている紙提灯(鬼灯=ほおずき)。玉脇の銃身に括られていた紙提灯だ。紙提灯が開くと玉脇と品子が銃で心中した絵、銃声が響いて水没していく。この一連のイメージの爆発は凄まじい。清順の頂点だろう。フェリーニやブニュエルを凌駕している。
ここからラストは浮世絵の血みどろな無惨絵のセットの世界になる。裏返しの人形の内部に入りこんでしまったようだ。品子からの手紙をみお(加賀まりこ)から渡される。「うたた寝に 恋しき人をみてしをり 夢てふものは たのみそめてき」(小野小町・古今和歌集)松崎「夢が現実を変えた。これは復讐の歌だ」そして松崎は遠眼鏡を覗くと廃屋にいる品子と自分を見てしまう。祭囃子が聞こえてくる。魂が抜かれた自分と額から血が流れている品子が背中合わせになる。品子は松崎の背中に「○△□」と指でなぞる。「四角院丸々三角居士」松崎が戒名を呟いて本作は終わる。

本作は松崎が玉脇の2人の妻にたぶらかされる物語だ。「凄まじい女の情念」を見た物語である。品子は最初、2回目とも階段で出会う。品子は当初は謎のほおずき(酸漿)の女だ。本作は「水」の映画だ。タイトルバックから水の流れ、本編には川や池や小舟が頻出する。品子は水の女だ。髪を洗う場面の妖艶さに目眩がする。松崎と関係が出来る場面で自ら足袋を脱いだのにはドキリとする。おイネの葬列を見届けた品子が喪服の胸をはだけて、ほおづき=女の魂を握りつぶして緑の汁を垂らして恍惚となる場面の官能。そして白眉は、木桶の中でほおずきの水中に沈んでいく圧巻のショットだ。おイネの登場も階段であり品子と同じ着物だ。品子とおイネは裏と表、恋と恨み、ドッペルゲンガーだ。もう一人の女、みおはよく笑う女だ。カフェで玉脇と踊りながら舌をベロベロ出すのが挑発的だ。小鳥を売っていて、並んだ鳥籠の中には、つつき合った鳥の死骸がある。「殺しの烙印」の真理アンヌが水と蝶や鳥の女だったのが本作ではそれぞれの女に分解されている。
清順の主題である「階段」「橋」も頻出する。しかしもはや「距離」も「高低差」も破棄されてしまったのが本作での清順の到達点だ。
本作は現実音のSEが少ない。無音の場面も多い。音作りでも現実感をなくして夢の世界を構築している。
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