真鍋新一

ひめゆりの塔の真鍋新一のレビュー・感想・評価

ひめゆりの塔(1953年製作の映画)
4.2
とてもつらい。とてもつらい。

戦争映画を見るとき、映画が戦争という行為を肯定、美化していないかどうかという視点を必ず持つようにしている。終戦後まもなくの映画であろうと悲しいかな、制作者のさじ加減次第でどうにでもなってしまうものなのである。その点この映画は、(このテーマであれば突然肯定などあってはならないのだが)まったく情け容赦なく、まだ終戦から8年しか経ってないのにそこまでやっていいのかと逆に心配になるほど真剣に事実と向き合っている。戦争は善意と責任感の大搾取大会であったということが、女学生たちのがんばりを通して嫌というほど思い知らされる。善意と責任感の搾取は、なにも戦時中でなくても発生する社会の大きな問題でもある。

生徒役のなかにはその後有名になった女優さんが何人も出ていて、その初々しいお顔を拝見するという楽しみ方もできなくもない。若すぎてわからなかったらどうしようと思っていたが、それぞれの緊張した面持ちからはハッキリとその個性が見てとれる。ただし、混乱を極める戦況のなかで誰がどこで死んだのかほとんどわからず、なんとも言えない重い気持ちを抱えながら映画は進行していく。

すぐ近くで人が死んでいるというのに、かなり事態が深刻になっていてもなお女学生たちの間に麗しき女子会的な雰囲気が維持されていたことには妙なリアリティがあった。これもまた極限下の狂気と呼べるものだろう。

音楽の古関裕而は戦時中に「戦ふ東條首相」なる曲まで作っている戦時歌謡の大作曲家でもあるのだが、一体どういう気持ちでこの作品に取り組んでいたのかと墓へ行って詰め寄りたくなった。

トークショーで香川京子さんが、映画公開後の微笑ましい後日談を話してくださらなかったら、立ち直るのにもっと時間がかかったと思う。
真鍋新一

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