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梁山伯と祝英台
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『梁山伯と祝英台』に投稿された感想・評価

3.4
JAIHOでミュージカル作品を見つけたので鑑賞♬

中国の四大民間説話の一つで、中国版「ロミオとジュリエット」としても有名な悲恋物語を黄梅調歌劇として映画化した香港作品🦋♬

黄梅調って初めて聞いたけど、黄梅戯とよばれる高音の歌曲を配した民間演劇とのこと🤔
この映画の爆発的ヒットによって香港映画界は黄梅調ブームが起こったほど、60年代の香港映画で代表的な作品らしい🎬✨

中国の伝統的な民謡っぽいメロディに、主演2人の歌声がかなり高音域で、歌い上げるあんまり馴染みのないスタイルで、独特ながら感情の訴えが繊細な作品でした😌

ストーリーとしては、女は勉強なんかせずに嫁に行け!みたいな風潮の時代に祝英台が反発し、男装をして学校に入学、そこで梁山泊と知り合い、2人は兄弟の契りを交わし、親友として共に学び、いつしか恋が芽生えていく…と言った少女漫画にありそうな感じ❣️

女と知らずに一緒に寝泊まりしたりの、定番ドキドキハプニングなんかもあったりする、前半は少しコミカル要素も❣️

祝英台は、女性が男装してるって設定だから、もちろん女優さんが演じてるのだけど(女性の装いも、男装も美しい方✨)、恋のお相手の梁山泊も女優さんが演じてて少し混乱🤔
それどころか、学校に通ってる学友の皆様も男性と女性半々くらいで、更に混乱🤔🤔

悲恋だっていうあらすじ読まないで見だしたのと、前半のコミカル展開から、実は皆んな内緒で男装して学校に通ってた女性でしたー😋ラスト大団円🥳みたいなのを想像してたら、全然違った🤪
ちゃんと悲恋でした🥲

高音域のメロディが重要だから、自ずと主演は女性になるのかしら🤔
宝塚の世界観として観ることにしたら、後半は気にならなかった😌
実際に宝塚でも『蝶・花(ディエ・リエン)』って作品として過去に舞台化してました🦋🌸

ラストは実にファンタジックな展開🦋🦋✨✨
各国色んなスタイルのミュージカルがあって面白いなぁと勉強になる作品でしたね🎶✨
☑️『梁山泊と祝英台』(3.8p) 及び『野バラの恋』(2.9p)『蝶影紅梨記』(4.0p)『ドラゴンへの道』(3.7p)▶️▶️

香港⋅中国文化の、古来からの豊かで不思議なテイストと、新しい世界に拓けた開放性が、こよなく見事⋅優雅に合体した、香港映画史を飾る、真にゴージャス大作⋅エポック的な作品らを、観る。誇らしさと不可思議さが一体に。
香港映画が垢抜けてくる契機のひとつは、やはり井上梅次(⋅中平⋅古川)、西本正らを日本から迎えたことには違いない(SBなど設備⋅システムの急速な近代化が大きいとしても)。´60年代初めから、香港映画に、真のキレ⋅滑らかさが加わり、増していったような気がする。個人的に、香港映画での世界トップと並んだ、初めての作(大傑作)は『大酔侠』だと思うが、キン⋅フー=西本の作だ。
古典を題材にしたなだらかで狂おしさに届く『梁山泊~』は、優雅な掛け合いミュージカルで、しかも宝塚みたいに運命のカップルの両方を女性が演じてて、舞台と違って嘘をつきにくい映画だから、どこでバラシ⋅倒錯が前面に出てくるのだろうと思ってたが、宝塚調を映画で貫く。それが完全成立し、それどころかこっちの方からより内容に参画してゆくようになるのは、やはり西本のカメラの力が大きい。橫を中心に、縦や回る、緩やかで長い移動が逆方向にも自在⋅自然に動き続けるカメラ。寄りサイズの入れの角度や、浅め切返しも、無理な鋭さは排してるが、充分な映画的キレ(の萌芽)を打ち込んでる。そうやって写し撮られる、スモーキー白めも含んだ⋅正確で落ち着いた色彩の(道中)花々木々や川流⋅橋や家屋のドギツクない壮大セットがいったい何杯作られたのか驚く、キレ目なさ。そこでの我が身の立場⋅性愛⋅相手の尊敬重視の、果てないまさぐり⋅内への向かい⋅外界への決然姿勢が、燻り揺らぎ熱してゆく、見えないであるものが、色水溶かし込みの雲化⋅竜巻や蝶のアニメやミニチュア⋅吹雪かれ破壊の物らの高い技術⋅実験の円谷特撮(『白夫人~』より率直な力)の、配置⋅捌きで一気具現化⋅結晶してくるラストへ。
中国古典時代、勉学への熱押さえきれず、男装して杭州の名門校へ向かうヒロインが、そこへの道中⋅そこでの三年間で、得難い義兄弟を得て、絶対の恋心への転じを、故郷に帰る道すがら謎掛けに託す。人がよく豪放磊落な相手は直ぐに気づかずも、女教師に教えられ、心弾けんばかりに嫁取りに向かう。しかし、家の格差⋅経済的な益から、ヒロインの相手は別名家に確定⋅揺るがず。退くを越え、憤死に。嫁入りの日それを知ったヒロインは、墓地へ向かい、合体し永遠のあの世へ。男女不平等や格式や富裕が決める婚姻への怒り、無二も義兄弟と夫婦認識差異の懐ろらを含み⋅詰めてゆく。社会を正すには至らぬも、それへの怒り⋅それに染まらない毅然は、この世での自分をゼロへ蝕む凄まじさ。
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『野バラの恋』。『カルメン』を下敷きにしてるが、やはり昨年だかに観たデミル⋅サイレント版等に比べると雲泥の差。初めこそ、隣接したナイトクラブのやり込め合戦風等、カメラワークの自在さと滑らかさ⋅真俯瞰退きショットの定期入れ⋅場馴れた女性エンタテイナーのやり取りから掴み合い、と井上梅次を彷彿⋅それ以上トコトンと感心したが、各々の人物が抱える家庭の事情(病身妻や、老母⋅婚約者、見つけくるヤクザな夫、ら)と、金や地位⋅暴力にあかせた傲慢な実力者、おとしたり⋅隠したり⋅助けたりし合うメイン人物らの錯綜、が色々離れ場を変えていっぱい詰め込まれてくると、辟易もしてくる。結局は誠実⋅真面目に見えようと、自分を押し付け縛り怪物化してくる男(ら)に対し、奔放⋅自分勝手に見えながら、自分の周囲や⋅自分の為に⋅苦境に立つ人らを⋅我が身の印象を悪くしても⋅無条件で助力し、「自己犠牲が、愛というものの形」と非難⋅悲劇を一手に引き受けてくのがヒロインたるものとしてるは、色々濃い描写で大衆作品でも世の価値観に風穴を空ける意欲大胆作と一瞬思わせるが、やはり隠れ蓑で、結局のベースは旧態依然、の作でいつしか重ったるい正体が知れてくる。それでも序盤の魅力は忘れ難い。
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その流れで広東オペラの映画化『蝶影~』は期待していなかったが、冒頭にネガの劣化から、3つのポジからいいシーン毎⋅ショット毎に選択⋅調整しながらの気の遠くなるような復元の腐心が書かれていて身を正したが、美しい本編(『野バラ~』は画質も艶やかさ失い⋅かなり酷かった)は更に驚かせた。スタイル⋅内容共に正反対だが、1961年版『ウエスト⋅サイド~』に匹敵の傑作。乱れに乱れた宰相の国で、手紙⋅歌のやり取りだけで会えない運命にあった、花街の楼でも美貌⋅知性⋅舞い⋅気品で名高い芸妓?と、科挙試験に向かう未来のTOP官吏の、やっとの遭遇に、12人めの側女→脅威の近隣強国へ献上、と宰相が割って入る。人情味ある宰相下の学長が協力、移動中入れ替わり死んだと見せておちのびる。それを目撃した男が失意で休む所に、女が偶々見掛け、男の未来の事や⋅自らの身の安全の為に他人⋅更には幽霊を演じて正体を隠し、過去でなく未来に向かう為の、死者への慕いと同等の、安らぎ楽しむ濃い時間を与える。体制⋅皇帝が代わり、粛正のピンチの宰相は、女の姉の夫の密告で捕えた、女をやって来る役人に捧げる。それこそが科挙を突破した男で、学長らの仕掛もあり、2人の思わね対面⋅死のからくり⋅二重の出逢い、悪の排除が明るくなされてく。
中国の演目の長い歴史、からくりや艶かしくコミカルな生の誘惑⋅毅然が延々手の品を変えて行われ、銅鑼や三味線の常に伴奏、そして戦前溝口(共産党系の批評家が、モンタージュやカッティングの近代的感覚の無さを批判した頃の溝口)を粗くも親しみと滑らかさで再現したような、長回しとカメラ移動とカット角度変えの、映画立体を離れて自然で流れ主体、アップの入れは激しく多め集中の所は『残菊~』のラストの力にも匹敵の、運命⋅権力⋅常識への悪戯⋅茶目の揺さぶりを示す。紅梨などに関する他愛ない話の膨らみが、作品の本物を証明す。演劇まんま⋅限定空間幾つかだけ、に絞られてるようで、抽象化をうまく加えたセット⋅衣装⋅キャラ、そして一見(浅はか)映画性を否定したようで映画を超えた空間現実の厚み持続のデクパージュ、は柔軟な真の強さを持ち、いつしか圧倒してくる⋅ひき込んでくる。
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『ドラゴンへの道』。かなり劣化してはいるが、昔観た時はフィルムも劇場ももっと酷かったので、今回は真価に相対的に近づけた気もする。B⋅リーは映画の理解⋅表現に於いても、生き続けてれば、タランティーノを超える映画的映画の創り手になってたろうと、このシリーズ物⋅マカロニウエスタンを期待させるパターン物においても確信させる。外景のあからさまな写真引き延ばしも平気でペターと使い、後のJ⋅チェンのトーンを予告させるような、武闘ものなのに強さを前面には出し続けない間抜け⋅茶目っ気感、がある中、本作のシネスコ画面とその中のリズムの完璧な把握力は、最高作(身体を壊し、フェリーニ的フェイクも取り入れ完全化した)『家族の肖像』等のヴィスコンティに匹敵するものである。他のファイターのようにコマ落とし(時にスロー)に頼らずも、また濫用めズームも悪くなく⋅縦移動の確かなのも交え、何よりリー自身のフットワークと完全リンクを見せる少し揺れての橫フォローもマッチし、真のスピード⋅形⋅力を誇るリーの姿も真価は伝わるが威圧感はない。敢えて、展開⋅流れに隙を設けて、風通しをよくしたリーがこの後力を貯めて、完全なる映画を目指したら、タランティーノ等問題にしない位成長しただろう。
シリーズもの的な、ローマの中国人レストランが、地上げ屋ー暴力団の妨害で、売り明け渡しのピンチ(内通してる、信頼してる者の仄めかしもチクチク感覚で)を、香港から呼んだカンフーマスターが、コミカルも、有能⋅有効に敵を排除する話で、ローマの街⋅名所切取りが正確⋅分厚く、飛び道具に先制手裏剣がキリリと働く。
3.7
中国に伝わる悲恋の説話を、歌劇スタイルで映像化したいわば香港版『ロミオとジュリエット』あるいは『ウエスト・サイド物語』。主人公であるヒロイン祝英台が勉強をしたいがため男装して学校に行き、友情を育み義兄弟となった梁山伯とやがて恋に落ちるも自分の正体と愛の間で葛藤する展開はちょっと少女漫画や宝塚っぽい(しかも梁山伯や半分くらいの男子学生を女性が演じているためますますそう思える)。

ベタな恋愛ドラマになりかねない物語を、美術スタッフによる壮麗なセットやハリウッドなどのミュージカルとはまた違う品のある歌声が格調をもたらし見ごたえのあるドラマにしている。中でも西本正(クレジットは別名義)による繊細な技巧が冴え渡る流麗なカメラワークが素晴らしく、よく行き届いた仕事をしている美術も相まってまるで水墨画のような画面に仕上がっていて民話の雰囲気を盛り立てるのがナイス。

主人公の二人に付き従う従者のコメディリリーフなキャラや、合間合間に挟まれるコミカルな描写もシリアスになりがちなドラマを和らげ、同時に後半の悲劇を際立たせる。あと従者二人(男と女)が最初いがみ合っていたのが次第に仲良くなり、中盤付き合っているのが笑えるが同時に結ばれない主人公二人との対比になっていて切ない。

後半祝英台が親の勝手で決められた婚約者との結婚のため引き裂かれる二人の悲劇はベタではあるが、スタッフたちのテクニックが随所で効果的に使われているので飽きない。中でもヒロインの結婚を知った梁山伯の場面で、すだれが掛けられること&ヒロインが口にする「兄者(男のほうが年上のため)」で関係が断絶してしまったことを示す演出が見事。

悲しみに溺れる二人にもたらされたラストはいかにも民話らしい超展開ではあるが、巻き起こる暴風や天上で舞う二人の典雅な姿による特撮の仕事が素晴らしく上品に締めるラストが心地いい。一説によればこの特撮は円谷英二が担当したという話だが、クレジットに出ていないしwikiにも載っていないので本当かどうか確認できず。ただ雲の繊細な動きや風の表現は確かに円谷っぽいし、ショウ・ブラザーズと東宝の当時の関係を考えるとそうかもと思えてくる。

『梁山伯と祝英台』に似ている作品

山中傳奇

上映日:

2018年11月24日

製作国:

上映時間:

192分

ジャンル:

3.6

あらすじ

若き学僧ホーは、霊験あらたかな経典の写経を依頼され、仕事に集中すべく幽玄な山中の城跡を訪れる。しかしそこに棲まっていたのは、成仏できずにこの世を彷徨う妖怪たち。ホーを陥れ、死者の魂を解放す…

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