けんたろう

チャップリンのニューヨークの王様のけんたろうのレビュー・感想・評価

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アメリカ一国を以てしても、チヤツプリンの懐ろの深さには丸で敵はないおはなし。


嘗てはフアシズムに喧嘩を売つたチヤツプリンが、今度はアメリカを相手に取る。
孰れの政府にも与せず、聰明なる眼を持ち、常に是々非々なる姿勢で事に向かつてきたチヤツプリン。下らぬ徒党を組んだり、詰まらぬ群れに入りたりなど、チヤツプリンは決してせない。故に思想の異なる者をも包容できるのだらう。故に何んな立場をも何んな状況をも笑ひに昇華できるのだらう。其の洗練せられた眼と表現とには、最早や尊敬の念を禁じえない。
果たして、喧騒の街・ニユヨオク。自由主義を標榜した言論弾圧が当然の如く罷り通る社会。メデイアが権勢を振るひ、広告が消費を促し、拝金主義者が世にのさばる、醜き慾望の土地。然しながらチヤツプリンは、憎悪を以て表現することは断じてせない。詰まりは、ユウモアである。笑ひである。だからこそ美しい。だからこそ面白い。
チヤツプリン対アメリカ、此処に極む。


さて、上流階級に転じてもチヤツプリンの喜劇は矢張り可笑しい。
器用なのか不器用なのか、CMタレントの、急に始まる不自然なる宣伝。不断は上品なる王と執事の、慾望への敗北。自らの与り知らぬところで何時の間にやら獲得してゆく、大衆からの人気。思想の色濃い天才少年の、会話を究極無視した捲くし立て。其んなことに成るわけあるまい、エレベエタでの、王様の無様なる痴態。嗚呼、総べて。総べてが可笑しくて仕様が無い。法廷での一幕に至つては、痛快至極。最早や思ひ出したゞけでも笑ひが込み上げてく。


果たして政府なんてものは、何時だつて糞食らへである。而してチヤツプリンの粋なる姿と大きなる器とは──嗚呼、永遠なり!
今企画「フォーエバー・チャップリン」の題に相応しき終幕。チヤツプリン、数々の最高なる表現を本当にありがたう。