あなぐらむ

友よ、静かに瞑れのあなぐらむのレビュー・感想・評価

友よ、静かに瞑れ(1985年製作の映画)
5.0
北方謙三原作という事にこだわる方が多いのだが、原作の舞台が温泉町だった事を崔洋一の思う「異邦の地」沖縄に変えた事で、映画が強くなった。丸山昇一のホンもとてもシャープに書けていて、無駄なものが何もない。加えて浜田毅の鋭角なエッジが効いた切り取る映像の冴えが、この映画をそれまでにあった和製ハードボイルドから遥か遠い(沖縄なのに)乾いた地平へと連れて行った。(ちなみに、本編ではカットされているが、北方謙三自ら現場に赴き、出演したカットがある。山根貞男さんの「日本映画の現場へ」に詳しい)

タイトルバックの遠景から、梅林茂の見事なスコアに乗って「違う町」へとやってくる男の話である。これは何かというと、西部劇である。アメリカン・ハードボイルドである。
獄中の友人に、そして真実を「見届ける」為に彼はやってくる。
ぼんやりと隠された人間関係、人と人とのほつれを、彼は動く事でかき回し、波立たせ、あぶり出すように全てを明らかにしていく。
彼は少年に父の生き様を見せる事で、大人へと成長させる。
父が好きだったレモンを齧る少年の姿。去って行く男を見送る姿でこの映画は今一度、タイトルコールをして終わる。こんな端正な映画があるだろうか。
何も語らずに全てを見せてしまう映画。

藤竜也の低温のまま熱を帯びる熾火のような感性、こちらも低温のまま拳を繰り出す野性味の原田芳雄。日活の同窓生の再会は、苛烈な暴力で挨拶を交わしていく。そして、林隆三が、あのワンシーンでこの映画を決定づけて行く。
室田日出男のくたびれと怒りも強く印象に残る。室田は「黒いドレスの女」でも崔洋一と伴走する。

女たち、倍賞美津子の憂い、宮下順子と中村れいこのいかにも「流れてきた」気配。この倦怠がこの町の通奏音となっている。男が現れる時、そこに笑みが産まれ、それまでと何かを変えていく。

崔洋一は徹底的にロケーションにこだわり、その構図を作り抜き、あらゆるショットを映画的なものにしている。立ち位置、立ち方、パースの効き方。
闇の深さ、走りゆく米軍の車列。全てが映画として屹立する。

映画というのは語らずとも映画になり得るのだという事。
普遍性を持つという事。
1985年の角川映画が起こしてくれたひとつの奇跡である。