スマイリー

FAKEのスマイリーのネタバレレビュー・内容・結末

FAKE(2016年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

公開4日目の平日の昼、渋谷ユーロスペースで鑑賞した。騒動真っ只中の佐村河内氏に密着したドキュメンタリーということで注目度が高いのか、映画館は満員大盛況だった。
佐村河内騒動に染まる日本が、善悪を二分して佐村河内氏非難に走る様子に違和感を覚えたのが、映画を撮った大きな理由だそう。
色々と考えたことはあるのだけれど、ドキュメンタリーという手法の「面白さ」に感想を絞って書きたい。本当に、ドキュメンタリー映画は真実を映しているのだろうか。
まず、編集の恣意性が一つ。ドキュメンタリーなんてのは編集次第で白を黒にも、黒を白にも見せることができる。あのシーンをもしカットしていたら、この映画に持つ印象は違っていただろうというシーンがこの映画にも結構ある。あるいは反対に、どこか重要なシーンがカットされていたかもしれない。他にも映像のつなぎ方もそう。これらは監督の意図が及んでいるか、あるいは無意識なのかに限らず、常に付きまとう問題。
次に、被写体の意識について。カメラで撮られているとわかっている被写体は、果たして自由に行動しているのだろうか。カメラがなくても、本当に映っているように行動しただろうか。そのようなことはもちろんない。
そして、ドキュメンタリーの禁じ手について。最後辺りになると、森監督はある禁じ手に出る。それがその後の展開を盛り上げることになり見応えが増すのは確か。しかしこの行為はドキュメンタリーという手法について考えたときに、どう捉えるべきなのだろう。
観客は、与えられた映像からあらゆる情報を読み取ろうと躍起になる。佐村河内氏の耳は本当に聞こえていないのか、新垣氏が本当に嘘をついていたのか、佐村河内氏に音楽を作ることができるのか。他にも佐村河内氏の性格や感情を読み取ったり、佐村河内夫妻の愛情を感じて涙ぐんだりする。
でもな、この映像だけで全部をわかったような気になることも、あるいはそもそもわかろうとすること自体が、間違いなんだよばーか!!とあっかんべーして映画が終わる。
観客を突き放して終わるこの映画。佐村河内騒動、それに限らない世にはびこるあらゆるニュース、今の日本や世界の空気感、また、ドキュメンタリーという手法そのものについて、あらゆる宿題をまんまと背負わされてしまった。
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